コンテンツ消費論 稲田豊史 × 加山竜司
スマホやSNSが普及して十数年。作品の観られ方に大きな変化が生じている。無数のコンテンツであふれる現代で、人々はなにを求めて作品を観るのか。コスパ・タイパ視聴の潮流を顕在化させたノンフィクションライター・稲田豊史氏と、『「推し」という病』(文春新書)の著者でもあり「推し活」の現在に迫るライター・加山竜司氏が、3つのテーマの対談を通して解き明かす。売れる作品とはなにか? ムーブメントはなぜ起こるのか?
Index
【対談①】コスパと推し活、二極化する作品視聴の現在
コスパ・タイパでアニメを観る人たち
――まず、作品視聴の現在についてお聞きします。映画やアニメなどの作品は、今どのように観られているのでしょうか?

稲田豊史(以下、稲田) 2020年代に入ってから、“作品を観る”というより、コスパよく、タイパよく、“コンテンツを消費する”流れが加速したという感覚はあります。背景にあるのは、ひとつは作品供給数の増加。もうひとつがタイパ(タイムパフォーマンス/時間対効果)志向の浸透ですね。なるべく短い時間で多くのものを観たい、得たいと考える人が増えてきた。定額制動画配信サービスに倍速視聴機能が実装されるようになったことも相まって、ここ数年ますます消費のスピードが速くなっていると感じます。
加山竜司(以下、加山) 根本的な質問ですが、なぜそんなに消費する必要があるんですか?
稲田 複合的な要因があると思いますが、その大元はLINEをはじめとしたSNSによる常時接続です。グループ内の会話で何かの作品が話題になると、話題に乗るためには観ておかなければなりません。既読スルーは印象が悪い。そういうグループがたくさんあると、作品を観る時間がとにかく足りないんです。とくに若年層は「話題についていかないと置いていかれる」という気持ちも強いので、倍速でもしてどんどんチェックしていくしかないのだと思います。
並行して、スマホによってあらゆることが「ながら」で消費されるようになりました。テレビを見ながらメッセを打つのは普通ですが、同時に2個以上のタスクをこなさないと「時間がもったいない気がする」という人も増えています。
加山 仕事の面ではマルチタスクが求められる局面は多いですけどね。

稲田 そういうコスパ・タイパ志向が単なる日々のタスクや仕事にだけでなく、作品鑑賞の領域にまで入りこんでいるのが、実に2020年代的だなと思います。
ただ人間というのは、面倒くさいことはなるべくしたくないという欲望が昔からあって、技術の発達によってその欲望を満たしてきたという歴史がありますよね。計算が面倒だから電卓が発明された、というやつです。同じように、2010年代半ばぐらいから、倍速で再生しても問題なく聞き取れる技術が一般のサービスに実装され、かったるいシーンは簡単に飛ばせるようになった。「できるようになったからやりました」ということでしかないと思います。
ちょっと話がずれますが、『本を読めなくなった人たち』の中身を雑に一言でいうと、「多くの人が長文を読まなくなり動画にシフトした」という話なんですよ。実は多くの人は、昔からそんなに本を読むのが得意ではなかった。だけど、ある種の情報は本からしか取れなかったから、我慢して読んでいただけ。たとえばビジネス書なんかはそうです。
加山 ほかにメディアがなかったから?
稲田 はい。ところが今は、かつてビジネス書でしか得られなかったような情報が、ビジネス系チャンネルから動画でどんどん流れてくる。あるいは膨大なテキストはAIで簡単に要約できるし、音声化できる。長い文章を読むより楽だからそっちに行く。人間が昔から抱いている「楽をしたい」という気持ちはずっと変わっていないと思います。
加山 要約してくれるんだったら、その動画を観ますということですね。
稲田 一方で、じゃあ長いものは読まれない、観られないのかというと、そうでもないのが興味深いところ。昨年大ヒットした映画『国宝』の口コミには、「長いけど、おもしろかった」みたいな言い方をしているものが結構あるんですよね。同作は3時間近くありますから、コスパ・タイパ志向からすれば「長いのになぜヒットしたの?」という話になります。
加山 当然、疑問としては出てきますね。
稲田 みんな長いものが嫌いなんじゃなくて、冗長なものが嫌いなんですよ。「長い」は単に尺が長いこと。「冗長」は無駄に長いこと。“無駄”とは何かの定義は必要ですが、要するに「飽きない」ってことです。じゃあ、飽きないとはどういうことかといったら、「次々と何かが起こって、展開が速いこと」だと思うんですよ。『国宝』はまさにそうで、ものすごく長い時間経過を猛スピードで駆け抜ける映画になっている。それが嫌だという人と、だから飽きないという人がいますが、世の中は後者が圧倒的に多いから、大ヒットしました。
加山 ちょっと小間切れ感がありました。
稲田 『国宝』に不満を言っている映画ファンもいますが、その言い分もよくわかるんですよ。せっかくいい役者さんを起用して、いい演出なんだから、もっと丁寧にじっくり描いてもいいのに、「ダイジェスト映像みたいだった」と。たしかに重厚長大な群像劇である吉田修一さんの原作からすると、かなり話が端折られています。脚本家の奥寺佐渡子さんが1本の映画の尺に収めるため、あえて主人公ふたりの話に刈り込んだからですね。でも、そのおかげで展開はスピーディーになった。
加山 評価の定まったものにみんなが一気に群がる状況ではありますよね。
稲田 確実に満足を得られるからですよね。これも結局「コスパ・タイパがいい」ということです。
今、マンガが読まれなくなっている?
――稲田さんは『本を読めなくなった人たち』の取材で、マンガとアニメの関係性について思うことがあったとか。
稲田 昔は、「マンガを読んで、好きだったらアニメを観る」という順番が多かった気がするんです。でも今の大学生に聞いてみると、マンガを読むのを億劫がって、アニメから入る人が結構多い。「マンガを読むのは頭を使う。アニメのほうが頭に入る」という人もいました。今は定額制配信サービスを利用すれば、事実上タダでかなり多くの流行っているアニメ作品を全話観られますから。その辺、加山さんはどう思われますか?

加山 たとえば、集英社と東映アニメーションが組んだ『Dr.スランプ アラレちゃん』(1981年~1986年放映)以降のジャンプ作品は、アニメを入口にして入ってくる人が圧倒的に多かった。『キン肉マン』とか『北斗の拳』とか『ドラゴンボール』とか。だから、昔からそういう部分はあったとは思います。ただ、入口はどうであれ、いまの若者がどれだけ日常的にマンガを読む習慣を持っているのかというと……体感的には、以前より減ってきているのかなと思いますね。
稲田 なぜこの話をしたかというと、先頃X上で「子供のマンガ離れが激しい」という意見に対して、賛否両論の議論があったんです。ことの真偽は置いておくとして、若者ヒアリングをした身からすると、たしかに流行っている作品をチェックする際、原作のマンガを読んでしまったほうが早そうなのに、何十話もあるアニメで追いかける若者は少なくない。たとえば『進撃の巨人』(2009年~2021年連載)とか。マンガはお金を出して買わなければならないけど、アニメは親が契約している定額制配信サービスで見られるから――という側面はあるとは思いますが、それにしても「マンガよりアニメのほうが頭に入るから、アニメを観る」という意見は結構聞きます。
加山 『鬼滅の刃』(2016年~2020年連載)って、マンガを全巻揃えると1万円を超えるんです。サブスクでアニメを観ると、サブスクの定額料金はかかりますが、新たに支払うお金は発生しない。だから、サブスクでとりあえず観るが先にきちゃうのは、なんとなくわかる気がします。
――実際にマンガを読む若者は減ったのでしょうか。

加山 売り上げベースの話をすると、コミックの市場規模は1970年代後半から統計がはじまって、一番最初に売上がピークを迎えるのは1995年。『週刊少年ジャンプ』が653万部を記録した年なんです。その年に『ドラゴンボール』(1984年~1995年連載)が、翌1996年には『SLAM DUNK』(1990年~1996年連載)が連載終了します。以降、出版不況のあおりもあって、徐々に右肩下がりになり、底を打ったのが2013年。2014年からV字回復していくわけですが、その2014年になにがあったのかというと、電子書籍の売上が計上されるようになりました。以後マンガの売り上げは、2024年までずっと右肩上がりで伸びていて、2020年の段階で1995年のピークを上回った。だからいってしまえば、いまが歴史上一番マンガが売れている時代なんです。
稲田 電子も含めて、ということですね。
加山 はい。2025年は若干落ちたんですが、相変わらず歴代最高水準であることは変わらない。しかも、売上に対する電子の割合は76パーセントに達しています。いまやマンガは、完全に電子で読む時代なんです。
ただ、電子が単独で力を得ていったのかというと、ちょっと疑問があります。かつてのレンタルブックとか、立ち読みとか、マンガ喫茶とか、いろいろなところに散っていた読者を電子が吸収したのではないかなと思います。
稲田 僕も『本を読めなくなった人たち』で少し触れましたが、マンガを「買って所有するほどでもないけど読みたい」くらいの人が、今まではTSUTAYAで借りたり、漫喫で読んでいたりしたところ、今は電子の安売りセールで買ったり、ポイントを貯めて無料で読むようになっていったのかなと。
加山 そういった背景があるにせよ、いま非常にマンガが読まれている。より正確にいうなら、「マンガが一番買われている時代」です。それなのに、なぜ「マンガ離れ」が提起されるかというと――ここからは、こういったファクトを基にどう解釈するか? という話になりますね。
稲田 子供のマンガ離れを主張している人の言い分は、「たしかにお金は動いている。でも子供が買っていないんじゃないか」です。かつての小学生は誰かが買ったマンガ雑誌やマンガの単行本を回し読みしていたし、タダで読むツテもいっぱいあった。だけど電子版は買わないと読めない。貸し借りもできない。つまり増えた分の購買層は大人なのではないか? ということです。
加山 電子で読むにはデバイスを持っていないといけないし、クレジットカードなど電子決済の手段がないと買えないですからね。
稲田 電子分76パーセントの大半が子供ではないとなると、子供のマンガ離れは進んでいることになります。でも少子化でもありますから、仮に一人ひとりが読んでいるマンガの量が減っていないとしても、若年層全体のマンガ消費量は減りますね。
加山 そもそもマンガ自体、人口の多い団塊の世代(1947年~1949年ごろ生まれ)を当て込んだメディアです。『週刊少年サンデー』と『週刊少年マガジン』が創刊されたのが1959年で、団塊の世代がちょうど小学校高学年か中学生になったころです。『ビッグコミック』などのいわゆる青年誌が創刊されたのが、それから9年後の1968年。彼らが大学生や大人になるころに、また当て込んで創刊されているんです。だから人口ボーナスの恩恵を受けて成長したメディアといえます。
そして、この世代の子供――つまり日本で最も人口が多い団塊ジュニアの世代(1971年~1974年ごろ生まれ)が、大量消費の時代にうまく乗って、ジャンプの600万部とか400万部とか、そういう時代を支えていた。いまはそもそも子供が少ないんだから、そりゃあ買う人も少ないよという話なんです。
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