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『新幹線変形ロボ シンカリオン』シリーズ 10周年プロジェクト 出発進行!

『新幹線変形ロボ シンカリオン』シリーズが2025年に10周年を迎えた。
「実在の新幹線がロボットに変形し、日本の平和と安全を守る」。そんな夢の企画は、少年少女から鉄道・ロボット好きの大人まで、幅広い世代の胸を10年間熱くさせてきた。
「10周年プロジェクト」がスタートし、ますます目が離せない『シンカリオン』シリーズ。その運行開始に関わった御三方に、話をうかがった。

Index

『シンカリオン』立ち上げプロデューサー インタビュー

『新幹線変形ロボ シンカリオン』立ち上げの経緯

<お話を聞いた人>

左から順に

タカラトミー 横山拓也氏

ジェイアール東日本企画 鈴木寿広氏

小学館集英社プロダクション 根岸智也氏

 

――『新幹線変形ロボ シンカリオン』企画立ち上げの経緯を教えてください。

©プロジェクト シンカリオン JR東日本商品化許諾済

ジェイアール東日本企画 鈴木寿広(以下、鈴木)  『のりスタ』(2000年〜2015年)という、子ども向けバラエティ番組に、新幹線が走行する映像を流すコーナーがあったんです。そうしたら、そのコーナーの視聴率がよかったんですね。だったら番組に限らず、「新幹線を使ってなにかコンテンツを作ったら、おもしろいんじゃないか」と考えたのがスタートです。
その後、小学館集英社プロダクション(以下、ShoPro)さんから「新幹線をロボットに変形させたらこうなる」というイメージデザインをいただき、可能性を感じたので、タカラトミーさんへご相談したところ、すぐに賛同をいただきました。そこで「子どもたちにちゃんと届くコンテンツを作ろう」と3社で開発を始めたのが『新幹線変形ロボ シンカリオン』です。

――『シンカリオン』以前に、鉄道会社が正式に許諾しているキャラクターはなかったそうですね。

鈴木  車両そのものの商品化はありましたが、実在する車両をアレンジしてキャラクターとして展開するのは、初めてのことでした。丁寧に説明することで、まずはJR東日本さんにご理解いただき、1年ほどで許諾を得られました。かなり大変な道のりでしたね。その後、他のJR各社さんに説明し、ご理解いただいた流れです。

タカラトミー 横山拓也(以下、横山)  自分のなかでは、ドクターイエロー(東海道・山陽新幹線区間の点検用車両)がOKになったことがすごく大きかったですね。ドクターイエローって、子どもたちにものすごく人気があるんですよ。なので「ドクターイエローの許諾が下りた」ってところが、プロジェクトが前進する大きな一歩でした。

お互いを認めあいながら強いプロジェクトになった

2015年7月、『シンカリオン』シリーズ初のトイ「シンカリオン E5はやぶさ」と「シンカリオン E6こまち」が、タカラトミーの鉄道玩具ブランド「プラレール」から発売。その後続々と、各地の新幹線をベースとしたシンカリオンのトイが発売され、未就学児を中心にヒットとなった。

――立ち上げから現在に至るまで、一番大変だったことはなんですか。

鈴木  最初の原案を作るときが、一番大変だったかもしれないですね。イメージデザインされたロボットになるため、どういう風に新幹線を変形させていくのか。子どもたちに引きがあるのか。当時は予算があまり無かったので、背伸びせずに、自分たちでできることをやっていました。そのころ話していた目標が「いつかはアニメにできればいいよね」ということでしたね。

横山  大変だったけれど、一番楽しかったよね。アニメになると、お金も人もどんどん規模が大きくなってくるんですけど、最初のころって本当に少人数で。『シンカリオン』シリーズは、3社の共同原案なわけですが「それぞれのいいところを持ち寄って進むんだ」っていう気持ちが我々全員にあって。それが結果として、アニメにつながった気がします。山寺さんの歌唱もよかったし。

  • 2016年6月、声優・山寺宏一が歌うテーマソング「チェンジ!シンカリオン」が発表された。

小学館集英社プロダクション 根岸智也(以下、根岸)  思い出すと、この3社がひとつになるまで、結構時間がかかった覚えがあって。「殴りあいながら、仲が良くなっていった」ような感じ(笑)。全員がそれぞれ主張しないまま束ねていくと、ちっちゃくまとまりがちだと思うんですけれど、各社主張するところは主張しながらやっていたから、殴りあった後で「お前もやるな」みたいにお互いを認めあう。
そうして団結してきた関係に、新しくTBSさん(TVアニメ第1期放送局)がやってくる……みたいな。そうやって味方がどんどん増えていって、すごく強いプロジェクトになっていった実感がありますね。

鈴木  オリジナル作品を立ち上げる時は相当な熱量が必要で、TVアニメ第1期のころって、特に作品に熱を持って仕事をしていた人が多かった。テレビ放送を経て、劇場版を作って、公開日にはみんなでワーッて抱きあって公開を祝う……本当にお祭りみたいでした。そういう雰囲気だったのが、すごく良かったな。とはいえ、一番最初のころは、結構「殴りあい」でしたよね(笑)。

横山  あれ、最初から仲良かったよね?

根岸  いやいや、美化されてると思いますよ(笑)。

鈴木  それぞれ、目指すべき方向が一緒だから。議論のひとつとしての「殴りあい」です。

根岸  言ってしまえばそれぞれが一社単独でもプロジェクトを進めることができる会社なので「誰が、なにをするのか」の整理が一番大事でしたよね。それができちゃうと、あとはクリエイティブなところとかは、本当に楽しくやっていましたね。

横山  露出とかもね。ジェイアール東日本企画(以下、jeki)さんの交通広告で掲出されていたり、ShoProさんのTV番組『おはスタ』で取り扱ってもらえたり。タカラトミーが発行している「プラレール」のカタログにも掲載して、それが店頭やイベントで並んでいたり。ここまでいろんなところに『シンカリオン』シリーズへのタッチポイントが作れたのは、我々3社だったからこそだと思います。

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