書籍『スタジオジブリの美術』と、アニメーション背景美術の描き手たち
2025年1月22日に、パイ インターナショナルから『スタジオジブリの美術』という書籍が発売された。スタジオジブリがこれまでに制作してきた劇場公開27作の背景美術が網羅された、初のアートブックである。この本の監修を行ったのが、美術監督や背景スタッフとして、多くのスタジオジブリ作品に係わってきた武重洋二氏だ。ここでは、武重氏に書籍の制作裏話から、掲載された作品の背景画や背景美術の描き手について、大いに語っていただいた。
アニメーション美術監督・武重洋二インタビュー
スタジオジブリ作品の背景美術を網羅した本をつくる
――『スタジオジブリの美術』で、武重さんは「監修」とクレジットされていますが、具体的にどういった仕事をされたのでしょうか。

武重洋二氏(以下、武重) スタジオジブリ作品の背景美術の本ですので、『風の谷のナウシカ』(1984)から最新作の『君たちはどう生きるか』(2023)まで全作を網羅する必要があります。掲載する絵を選ぶにあたって、まずすべての映画を見直すところから始めて、このシーンの背景がいいとなったらカットナンバーを書き出しました。ただ、『もののけ姫』(1997)以前の古い作品に関しては、背景画自体がもう残っていないものが多いんです。作品ごとの出版物などには掲載されている絵もありますが、今回はできるだけ本物の絵を探して、それを載せたい。そこで僕がピックアップしたものから現存している背景画を探してもらい、そこからさらに選別していったというかたちです。
――載せたかったけれど、現物がもう存在しないカットもあったんでしょうね。
武重 僕が初めて美術監督をさせてもらった『On Your Mark』(1995)という短編があるのですが、この作品もスタジオにほとんど背景画は残っていませんでした。なので、残っていたものの中から選んで載せることにしました。『千と千尋の神隠し』(2001)以降は、三鷹の森ジブリ美術館ができて、美術館の倉庫で映画の資料は保管してくれているのですが、昔の作品については映画ができると、実物の絵がスタジオに残らないのが普通でした。映画ができると、スタジオを解散してスタッフがばらばらになっていた時代なので、背景画を描いた本人が持ち帰ることはありましたが、それ以外のスタジオに残されていたものの多くは廃棄されていたと思います。
――残っていたこと自体が幸運だったのですね。武重さんが保管されていたものもあったのでしょうか。
武重 仕事が終わって持ち帰った背景画もあったのですが、それを実家に送っていたので、知らないうちに父親がいろんな人にあげちゃったりしていて(笑)。どこにあるかさっぱりわからないものがほとんどでしたね。
――そういう時代だったんですね。背景画を選んだ後の行程にはどのように係わったのでしょうか。
武重 1作品あたりどのぐらいの枚数にするかや、この絵は大きくしよう小さくしようといった構成を、書籍の編集者が決めてくれました。それを見ながら意見交換をして、全体的な構成をつくっていきました。あとは色味のチェックが大変でしたね。
――色味のチェックの大変さというのは、具体的にはどういったところですか。
武重 ページの色校正を印刷会社さんに刷ってもらって、それをみんなで見て、この色はこういう感じにしてほしいというものを伝えていくのですが、そのやり取りが大変で。具体的なイメージがあるものはそれを伝えて、印刷会社の方がこうやってみましょうというかたちで印刷し直したものを再度見て、こっちのほうがいいとか、やっぱり前に戻したほうがいいかといったやり取りを何回もしました。なにせ物量が多いので、1カットずつやっていくのが大変で、5〜6回は印刷し直してもらったのかな。細かく調整をしながら、これは大丈夫でしょうという絵を少しずつ増やしていった感じですね。
――書籍のカバーイラストに『君たちはどう生きるか』の背景画を選んだ理由について教えてください。
武重 最新作というのもありますし、青い空と白い雲と緑といった描写も含めて、印象としてもジブリらしい絵の1枚かなというので選びました。本を広げた時に、横長の大きな絵になるというのも狙いのひとつで、実は候補がもう1枚ありました。それがカバーをめくった中表紙の『千と千尋の神隠し』(2001)の絵です。これも迫力があっていいんじゃないかとなったのですが、この鬼の絵が本屋さんに並ぶとちょっとインパクトがありすぎかなとなって(笑)、いまのかたちになりました。
――カバーに使われた『君たちはどう生きるか』の背景画は、美術スタッフの西川洋一さん(註1)が描かれたそうですが、実際の制作中に美術監督として手を入れたりされたのでしょうか。
武重 僕のほうでは、色見本の参考として美術ボードを描いたくらいで、背景画に手は入れていないです。西川くんは、前作の『風立ちぬ』(2013)でも、雲を描くのを得意としていました。このカットは、主人公の眞人が異世界に入っていった最初のシーンで、雲を印象深く描きたいという狙いがありました。なので、西川くんにシーン全体をまとめてもらうかたちで作業をしてもらいました。
――西川さんは、雲を描くのが上手いというのは、具体的にどこがどう上手いのでしょうか。
武重 うーん、なんでしょうね。男鹿(和雄)さん(註2)は光の面と影の入れ方のバランスで、雲のふんわりした感じやボリュームを出すのですが、西川くんの描く雲は、結構手数が多いのですが、パステルみたいなものをちょっと使いながら、陰影の付け方や影の落とし方も重くならず、しっかりと描き上げるという特徴があります。
――これらのシーンについて、宮﨑駿監督からの感想などはありましたか。
武重 映画の後半は、雲の多いシーンが続きます。西川くんが迫力のある雲をたくさん描いてくれたのですが「この雲は実際の画面になるとどう見えるんだろうな」ということを気にしていましたが、全体的には満足してもらえたんじゃないかと思います。
――書籍の仕上がりは、満足のいくものになりましたか。
武重 はい。本物の絵と比べてしまうと、やはり印刷物なので、細かいところで気になる部分も出てくるんですけれど、全体的には綺麗な仕上がりになっていると思います。
註釈
- 註1 西川洋一(にしかわ よういち)
1978年生まれ。『ハウルの動く城』『ゲド戦記』『崖の上のポニョ』『サマーウォーズ』『借りぐらしのアリエッティ』『おおかみこどもの雨と雪』『コクリコ坂から』『風立ちぬ』『メアリと魔女の花』『君たちはどう生きるか』で背景美術を担当。『思い出のマーニー』『バケモノの子』で、共同美術監督を務めた。 - 註2 男鹿和雄(おが かずお)
1952年生まれ。秋田県出身。『あしたのジョー2』『はだしのゲン』『妖獣都市』『となりのトトロ』『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』『もののけ姫』『かぐや姫の物語』などで美術監督を務め、『ガンバの冒険』『家なき子』『幻魔大戦』『魔女の宅急便』『紅の豚』『耳をすませば』『千と千尋の神隠し』『時をかける少女』『この世界の片隅に』『君たちはどう生きるか』などで背景美術を担当した。著書に、『男鹿和雄画集』『男鹿和雄画集Ⅱ』『種山ヶ原の夜』『秋田、遊びの風景』(いずれも徳間書店刊)、『ねずてん』(2003、アインズ)などがある。
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