書籍『スタジオジブリの美術』と、アニメーション背景美術の描き手たち
いくつかのスタジオジブリ作品の美術について
――最初に武重さんが係わられたジブリ作品は『となりのトトロ』(1988)でした。そのときの宮﨑監督や美術監督だった男鹿和雄さんの仕事を見て、感じたことや印象に残っていることはありますか。
武重 『となりのトトロ』のときに宮﨑さんがおっしゃっていたのは、名前がわかる植物をちゃんと描こうということでした。タンポポやヒメジョオン、オオバコといった、名前がわかる身近な植物が背景画の中に散りばめられているので、映画を見た子供たちが家の近所で「この植物、映画で見た!」とか、「この花は知ってる!」というようなことが成立する、初めての映画だったんじゃないかと思います。僕自身もともとアニメーションの世界を目ざしていたわけではなかったし、それまで風景画を描いたこともなかったので、舞台となった武蔵野の風景や登場する日本家屋についてもよく知らず、描く際に男鹿さんの指示に従って、こうじゃないああじゃないと直されながら仕事をしていた感じでした。
――男鹿さんの描く背景美術の特徴は、どんなところにあるのでしょうか。
武重 男鹿さんは、できるだけ手数を少なく描くことを目ざしていらっしゃる方で、僕は仕事を始めて1〜2年目の新人としてスタジオに入ったんですが、男鹿さんからよく「手を抜け」っていわれたんです。手を抜くということの本当の意味は、手数を少なく描くことだったのですが、最初のころはその意味がさっぱりわからないまま仕事をしていました。手を抜くということは、知識や技術が必要な難しいことなんですが、それができないので一生懸命描くしかなかったんですね。例えば、絵の中に竹で編まれた籠があったら、その組み方を調べて描いていました。僕自身、学生時代は油絵をやっていたので、水彩画や日本画と違って、どうしても油絵的なコテコテな絵になっちゃうというのもあったのですが、省略することが全然できなくて、ちゃんと描くしかないという感じでした。その後も『おもひでぽろぽろ』(1991)や『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994)といった、男鹿さんが美術監督を手掛けた作品に参加させていただいたんですが、いつも「描きすぎ」っていわれていました。僕と男鹿さんは方向性が真逆だと思います。色数についても、男鹿さんはできるだけ限定して的確に色を置いていくことで筆数を減らすこともされています。なので、逆に僕が美術監督のとき、男鹿さんにお願いすると「こんなにたくさん色を使うの?」といわれたこともありました。
――真逆といいつつも、武重さんが美術監督の作品には必ずといっていいほど、男鹿さんに参加してもらっていますね。

武重 いや、どちらかというと真逆だからこそなんですね。自分じゃなくて男鹿さんの絵がほしいというシーンがいっぱいある。男鹿さんにしかできない筆数が少ない中ですっと奥行きを出す空気感の表現は本当に見事ですから、抜けのよい画面がほしいときは、まず真っ先に男鹿さんのスケジュールを確認して、背景をお願いするようにしています。
――武重さんが最初にアニメーションの仕事をされたのは、映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987)で、美術監督は小倉宏昌さん(註3)でした。武重さんの最初の師匠ともいえる小倉さんの描く絵の魅力は、どのあたりにあるのでしょうか。
武重 小倉さんと男鹿さんは、コバプロ(小林プロダクション)というアニメーション背景美術のスタジオ出身で、代表の小林七郎さん(註4)のもとで仕事をされていました。男鹿さんはよく「小倉くんの絵が、いちばん小林七郎さんに近い」といっていましたね。小林さんは、勢いのあるタッチを使って絵を描いていく方なのですが、小倉さんの描く絵も、ダイナミックなタッチをよく使われています。小倉さんの美術監督作品には『機動警察パトレイバー the Movie』(1989)や『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995)などで、美術スタッフとして参加させてもらっているのですが、小倉さんからは「男鹿さんみたいな絵を描くね」といわれ、その後に男鹿さんの美術監督作品に参加すると今度は男鹿さんから「小倉君みたいな絵を描くね」といわれて(笑)。まあ、どっちつかずの絵なのかもしれませんが、どちらの影響もすごく受けているので、そういう意味では小倉さんも男鹿さんも、自分にとっての師匠であるといえます。
――小倉さんの美術監督作品は『パトレイバー』も『攻殻機動隊』も、都市の情景が主に描かれています。一方の男鹿さんの美術監督作品は、自然の描写が多いですね。
武重 先ほどもいいましたが、男鹿さんと僕は真逆なところがありますので、勢いで描いてしまうとどうしても違う方向になりがちなので、やっぱり慎重になるといいますか迷いながら描くみたいなところはあります。一方の小倉さんは、割と「かっこよければなんでもいいよ」っていわれる方なのですが、そのかっこよさみたいなものは、いろんな色味が入った小倉さんならではのもので、とても真似できないかっこよさなんですね。なので、自分なりの見せ方を入れていって、なんとか仕事をやらせていただいた感じです。
――初の美術監督作品の『On Your Mark』(1995)について、うかがいます。この作品を手掛けることになった経緯はどのようなものだったのでしょうか。

武重 たまたまなんですよ、本当に。そのころジブリでは『耳をすませば』(1995)を制作中に、CHAGE&ASKAのミュージックビデオの制作が、若手の演出家で始まったんですが、それがなかなかうまく進まず、締め切りも近くなってしまった。『耳をすませば』は、近藤喜文さんが監督されていて、宮﨑さんは絵コンテまでだったので、手が空いていたこともあると思うんですが「ミュージックビデオなんかつくったことないよ」といいながらも監督することになった。作画や美術の主要メンバーは『耳をすませば』にかかりきりだったので、宮﨑さんから「ちょっとやってくれないか」と声を掛けていただいて、『耳をすませば』の現場を一旦抜けて、同じ建物の別フロアで背景をやることになりました。美術監督といっても、宮﨑さんの席の横で指示を受けながら背景を描いているスタッフのような感じでした。ひとりではとても全部は描ききれないので、『耳をすませば』の美術スタッフだった男鹿さんや山川晃さん(註5)といったベテランの方をはじめ、背景スタッフに手伝ってもらいながら、終わらせていった感じです。
――作品の世界観を描くにあたって、なにか参考にしたものや、宮﨑さんからのこういうふうにしてほしいというような指示はあったのですか?
武重 そんなにはなかったと思います。作中に巨大な茶色っぽい建物がドーンと出てくるんですけど、これはなにかというと、原子炉が崩壊して、それをコンクリートで大急ぎで固めて封印した建造物で、それが放射能で赤茶けてどす黒い色になっている代物だったり。冒頭に登場するのは、ある種の宗教団体的なものという指示くらいでした。あとはもう、隣の机で宮﨑さんが作業をしているので、そこはそうじゃなくてこうだよといった指示を、都度受けながら描いていた感じですね。
――『千と千尋の神隠し』(2001)が、武重さんにとっては初の単独での美術監督作品です。この作品に係わることになった経緯と、背景美術についての狙いなどがありましたら教えてください。
武重 その前にやっていた『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999)の仕事で、僕は肉体的にも精神的にもボロボロになっていたようなんです。ある日、宮﨑さんが僕の横を通りすがりに「お前、どうした?」と声をかけてきて。「いや、別に普通ですけど」なんて答えていたのですが、ちょっと心配されたみたいで、次に映画をやるんだけど、やってみろと声をかけていただいたのがきっかけです。でも、最初のころは全然描けないといいますか、なにをどう描いていいのかさっぱりわからない状態でした。
――描けないというのは、なにも描けない状態だったのか、それともなにかを描いても全然駄目というような感じだったのでしょうか。
武重 描いても全然駄目ですし、なにを描くのかが頭に浮かんでこない状態でした。そんなこんなでただ机に向かっていてもしょうがないと思って、宮﨑さんに「1週間休みをください」という話をしました。映画の中で千尋が引っ越していく先の舞台として宮﨑さんが参考にした場所が、中央自動車道の先にありまして、そこに車で行って、どうすればいいのかなって思いながら周辺を歩き回ってスケッチして1週間過ごしました。それをやったからといって、描けるようにはならなかったんですけど(笑)、僕がうだうだとやっているうちに作品自体の制作はどんどん進んでいって、最初は映画の準備室に席があったんですけど、美術スタッフの席に戻らされて、美術ボードをつくってという感じで。なかなか進まなくてというところからのスタートでしたね。
――映画に登場する油屋のある町の描写が印象的なのですが、町の背景美術については、どのようにつくり上げていったのでしょうか。
武重 基本的な設定は、宮﨑さんが描かれた絵コンテやレイアウトがもとになります。レイアウトは宮﨑さん自身が描いているものが多くて、建物の設定なども、ほぼそのレイアウトに描かれていました。映画の冒頭は、いわゆる普通の世界というか、一般的な生活がある世界を意識して、トンネルを抜けた後の異世界との差をつけたいなと思っていました。なので、冒頭の部分は、男鹿さんにお願いして『となりのトトロ』の流れを汲んだ世界観で背景を描いてもらいました。異世界に入ってからは、割とコテコテで重い世界にしようと思って、僕が作業を進めていきました。油屋の中にある伊万里焼の壺なんかもそうですが、いま見てもうっとうしいくらいゴテゴテっとしてますね(笑)。
――ふたつの異なる世界を描きわけるという部分は、最新作の『君たちはどう生きるか』(2023)と似てるところがありますね。
武重 『君たちはどう生きるか』は、映画の冒頭が戦時中の日本なので、僕が中心となって緊張感のある細かい描写をしています。主人公の眞人が叔母の家に行った後、一息ついて庭に出るあたりでちょっと抜けがほしかったので、そのあたりを男鹿さんにお願いするというかたちになっています。
――書籍の中表紙にもなった鬼の襖絵のカットは、この後のジブリ作品の美術の中心になっていく吉田昇さん(註6)が描かれたものです。吉田さんの絵のよさはどういったところにあるのでしょうか。
武重 この絵で言うと、襖絵自体もそうですが、手前にある料理もいいんですよね。鯛は鯛として描くだけでなく、ちゃんとおいしそうなものであり、なおかつ食い散らかしているところまで踏み込んで描いている。僕がなにもいわなくても、レイアウトにだいたい描いてあれば、そういったところまで理解して描写してくれるので、吉田くんにはいろんな場面で活躍してもらいました。ほかの人が描いた絵で、ちょっと直さなきゃいけない部分があって、僕が手いっぱいになった時でも、「これなんだけど」といって渡すと「わかりました」とやってくれる。そんな感じでしたね。
――現時点での最新作『君たちはどう生きるか』の話をうかがいます。宮﨑駿監督が引退宣言を撤回してつくった作品なのですが、武重さん自身も当時引退といいますかジブリを辞めてらしたと聞きましたが。
武重 『風立ちぬ』(2013)が終わった後にジブリを退社して、種田陽平さん(註7)が美術監督をされた『思い出のマーニー』(2014)の仕事をお手伝いさせていただきましたが、基本的にはアニメーション業界とは別の仕事に就こうと思っていました。その後、ジブリ美術館で『毛虫のボロ』(2018)という短編を宮﨑さんがつくることになり、吉田くんが美術監督として立ち、スタッフも集まったのですが、作品がスタートする段階で、吉田くんが家の都合で一旦抜けなくてはいけなくなった。そんな時に、偶然スタジオのある東小金井界隈で会社の人に会う機会があって、ちょっと手伝ってよといわれて、短編だし吉田くんには散々世話になったので、そういうことならやりますといってスタジオに入りました。ふた月くらいで吉田くんは戻ってきたのですが、結局最後まで手伝うことになり、背景スタッフとして会社に残ったかたちです。
――それが『君たちはどう生きるか』につながっていったわけですね。
武重 いえ、僕は『毛虫のボロ』が終わったら、東京を離れようかと思っていたのですが、宮﨑さんがある日、「面白い本に出会っちゃったんだ。それを映画にしようと思うんだけど」という話があって、「美術をやってくれないか」っていうお声がけをいただいた。「いや、僕はもう業界を辞めたので」とお答えしたのですが、絵コンテの冒頭部分を宮﨑さんから「ちょっと読んでみて」って渡されたのを読んだらすごく面白いんですよ。それでなんか魔が差したんですね(笑)。つい、「お願いします」っていったのがきっかけで始まっちゃいました。大体どんな映画でも「面白そうだな、やりたいな」と思っても、始まった途端に後悔するんですよ。「やんなきゃよかったな、やっぱり映画つくるの大変だよな」って。 毎回それを忘れて、面白そうだなと思うと「やらせてください」っていっちゃうんですけど(笑)。
――この作品の美術が目ざしたものについてお聞きします。戦前の日本とファンタジーの世界それぞれについて、美術の狙いはあったのでしょうか。
武重 僕としては、映画の内容に影響を与えた『失われたものたちの本』(ジョン・コナリー著、創元推理文庫刊)のストーリーが、いろいろなところに移動していろんな舞台が出てくる話なので、都度、絵柄が変わるというのを予想していて、1本の映画の中に全然違う雰囲気の美術が混在しても面白いかなと、最初のころには考えていました。なので、当初からこの人にはこのシーンといったかたちでスタッフにお声掛けし、描いてほしいものをその人に任せて、その人なりの世界観をつくってもらったほうが、なにか豊かな世界になるんじゃないかという思いはありました。それで、異世界の背景を誰に描いてもらうかと考えた時に、まず西川くんが思い浮かびました。 男鹿さんには前半の抜けのあるシーンをお願いして、異世界で森が出てくるシーンについても、自然となると男鹿さんに描いてもらいたいナンバーワンなのですが、少し違う感じがほしいなということで、『この世界の片隅に』(2016)の美術監督だった林孝輔くん(註8)にもお願いしました。異世界については、どこに行ってもたそがれている風景という設定なので、ひとりの人間がたそがれを描きわけるよりは、いろんな人にたそがれを描いてもらって、こんな感じもあるねという感じで変化をつけていきました。都度、信頼できるスタッフの人にお願いしていったというところです。
――異世界については、たそがれと同時に常に風が吹いているのも印象的でした。この世界を描くにあたって、なにか参考にしたものなどはあったのでしょうか。
武重 なにかを参考にするかというよりは、宮﨑さんの描いた絵コンテやレイアウト読み取って、どういう風景を宮﨑さんは見ているのかと考えて、そこになにか参考にできそうなものがあれば取り入れるという感じです。基本的には宮﨑さんの絵コンテは、その段階で絵になっているので、その絵にどういう色合いを当てはめていくかみたいな意識が強いかもしれないですね。
註釈
- 註3 小倉宏昌(おぐら ひろまさ)
1954年生まれ。東京都出身。『王立宇宙軍 オネアミスの翼』『機動警察パトレイバー 2 the Movie』『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』『人狼 JIN-ROH』『フリクリ』など、数多くの作品で美術監督を務めた。著書に『光と闇・小倉宏昌画集』(2004、徳間書店)がある。 - 註4 小林七郎(こばやし しちろう)
1932年生まれ。北海道出身。『ど根性ガエル』『パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻』『侍ジャイアンツ』『ガンバの冒険』『家なき子』『宝島』『ルパン三世 カリオストロの城』『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』『天使のたまご』『少女革命ウテナ』など、数多くの作品で美術監督を務めた。また、小林プロダクションの代表として、男鹿和雄や小倉宏昌、大野広司ら、多くの背景美術家を育てた。2011年、文化庁映画功労賞を受賞。著書に『空気を描く美術-小林七郎画集』(2002、徳間書店)、『アニメ美術から学ぶ《絵の心》』(2019、玄光社)、『アニメーション美術:背景の基礎から応用まで』(2019、創藝社)がある。2022年、逝去。 - 註5 山川晃(やまかわ あきら)
1955年生まれ。『おもひでぽろぽろ』『紅の豚』『海がきこえる』『平成狸合戦ぽんぽこ』『耳をすませば』『On Your Mark』『MEMORIES 彼女の想いで』『時空の旅人』などで背景美術を担当。『ボビーに首ったけ』『MIDNIGHT EYE ゴクウ』などで美術監督を務めた。 - 註6 吉田昇(よしだ のぼる)
1964年生まれ。島根県出身。『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『猫の恩返し』『ゲド戦記』『風立ちぬ』『君たちはどう生きるか』などで背景美術を担当。『ギブリーズepisode2』『ハウルの動く城』『崖の上のポニョ』『借りぐらしのアリエッティ』『コクリコ坂から』で、美術監督を務めた。 - 註7 種田陽平(たねだ ようへい)
1960年生まれ。大阪府出身。実写映画の『スワロウテイル』『不夜城』『キル・ビルVol.1』『フラガール』『ザ・マジックアワー』『悪人』『花とアリス』『三度目の殺人』『ヘイトフル・エイト』などで美術監督を務めた。アニメーション作品では、『イノセンス』でプロダクション・デザイン、『思い出のマーニー』で美術監督を担当した。また、展覧会『借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展』、『思い出のマーニー×種田陽平展』などで展示美術監督も務めている。著書に『ホット・セット/種田陽平 美術監督作品集』(2007、メディアファクトリー)、『どこか遠くへ』(2009、小学館)、『伝説の映画美術監督たち×種田陽平』(2014、スペースシャワーネットワーク)などがある。 - 註8 林孝輔(はやし こうすけ)
1984年生まれ。『思い出のマーニー』『未来のミライ』『プロメア』『君たちはどう生きるか』などで背景美術を担当。『ジョバンニの島』『この世界の片隅に』『屋根裏のラジャー』で、美術監督を務めている。
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