書籍『スタジオジブリの美術』と、アニメーション背景美術の描き手たち
美術と色彩の描き手について
――アニメーションの背景美術について、武重さんと係わりのあった描き手の人たちについてお聞きしたいと思います。武重さんにとって最初の師匠ともいえる小倉宏昌さんから学んだことはなんでしょうか。
武重 『王立宇宙軍 オネアミスの翼』のときに、小倉さんが、「背景美術は、さりげなくドラマチックじゃないといけない」とおっしゃっていたのをよく憶えています。映画の背景が主張しすぎるとバックグラウンドとして駄目なのですが、でもやはりそこにドラマチックなものが必要だということをおっしゃっていて。小倉さんの絵の特徴のひとつに、絶妙な色使いがあります。さりげなく使われる色の入れ方で”ドラマチックさ”を描き出します。
――小倉さんや男鹿さんの師匠でもある小林七郎さんや、『アルプスの少女ハイジ』(1975)や『赤毛のアン』(1979)の美術を手掛けた井岡雅宏さん(註9)についてはいかがでしょうか。直接教えを受けたことは無かったと思いますが、なにか作品を見て学んだことはありますか。

武重 小林七郎さんに関しては、子供のころから『ガンバの冒険』(1975)など、係わった作品を見ていました。先日たまたま七郎さんの絵を改めて見る機会があったのですが、勢いのある筆使いで雲を描いていて、絵の迫力とダイナミックな線の描写は改めてすごいと思いました。井岡さんに関しては、宮﨑さんからの又聞きなんですけど、「影の中にこそ色がある」っておっしゃっていたそうなんです。それは本当にそうだなと思います。井岡さんの絵は画集でしか見たことがないので、本物の絵とは違うだろうなと思うのですが、七郎さんや男鹿さんとも違う、厚塗りの大胆な感じは自分に近いものがありそうで、いつか実際の絵を見てみたいなと思っています。
――「影の中に色がある」というのは、具体的にはどういうことなんでしょうか。
武重 簡単に言うと、影は黒ではないという話です。写真でもコントラストを強めると影が黒で潰れていくのですが、その中に色を入れることで光を感じさせるように描くということですね。それは背景美術だけの話ではなくて、多くの作品でキャラクターの色彩設計をやられている保田道世さん(註10)の色指定を見てもわかります。色を置くだけで、そのものが持つ光の強さや光の種類、質感なども表現されていたので。色については保田さんの仕事を見ながら学んだ部分も多いです。
――色彩設計の仕事が美術にも影響を与えていたというのは意外でした。
武重 僕らが描いているのは背景画なので、最終的には保田さんたちの仕事と合わさって絵になります。その結果、キャラクターが引き立ったり、なじんだりもする。一例を挙げると、『千と千尋の神隠し』で、油屋の中で千尋が寝ているシーンがあるのですが、昔の重たい布団の感じがセルの色指定だけで表現されていたので、「これは凄いな」と思いながら見ていました。セル仕上げだと、ペタッとしたものになりがちですが、色の組み合わせによって、質感だったり、皆がまだ寝静まっている朝方の時間の空気感までが表現されていて、見事だと思いました。ジブリ美術館の短編で『パン種とタマゴ姫』(2010)という作品があるのですが、背景にいろんな色をわっと入れている作品なんです。保田さんはそれを見て「こんな絵描いて、色指定どうすんのよ!」っていわれたのですが、そういいつつもなにかニコニコされていたので、内心はきっと「負けないわよ」って思っていらしたんでしょうね。
――『もののけ姫』(1997)で一緒に仕事をされた山本二三さん(註11)についてはいかがですか。
武重 山本二三さんも独特の世界観を貫き通した方で、唯一無二な作家だったと思います。『もののけ姫』のときは、同じフロアで仕事をさせてもらいましたが、緻密なタッチでありながら、きっちりと作品として描き上げるところに絵描きとしてのプライドを感じました。下っ端の僕に対しても同じ美術監督として接していただけたのか、誠実で優しい方という印象でした。
見て経験して学ぶことはたくさんある
――これからアニメーションの背景美術の仕事を志す人に、心構えとして大切なことや、なに学ぶべきかなど、アドバイスはありますか。
武重 いまの子供は、デジタルが当たり前になって、絵を描くためのツールもたくさんあると思うんですが、まずは実際に目で見たものや風景を写していく、要はスケッチだとか実際の情景を平面の絵にしていく訓練は、できるだけ若いときからやっておいたほうがいいと思います。
――基礎となる部分を鍛えるわけですね。
武重 ええ。スケッチって、実は結構難しいんです。風景を見ながら、タブレットで描いてみてもいいと思います。実際に自分の目で見たものを画面にどう収めていくかみたいなものを訓練しておくと、ひとつの武器になりますし、それができていれば、仕事を始めてからも必ず役に立ちます。
――風景画とアニメーションの背景画に違いはあるのでしょうか。
武重 基本的に違いはないのですが、アニメーションはやはりキャラクターがメインで、背景画はそのバックに見えるものなんですね。キャラクターの絵を描く子供たちからも、背景をどう描くのかとか、「背景の奥行きをどうやって出したらいいんでしょう?」みたいな質問を受けたりするのですが、例えば写真を撮るときでも、撮りたい被写体をどういうアングルで撮ろうかと自然に考えますよね。その感覚で、キャラクターの背景にある風景がどのように見えるかを意識して景色を見ていると、ある程度わかってくるのではないでしょうか。あとはいろんなものを見て、この絵はいいなと感じるものを、記憶の中にためて自分のものにしていけば、技術は向上すると思います。
――武重さん自身、そのようにして記憶の中にためていったものはありますか。

武重 そうですね、子供のころに実際に見たり感じたりした風景、例えば蔵の中に入ったら真夏なのにひんやりしてほこりっぽかったという空気感を思い出しながら描いたこともありました。また、映画を見て疑似的に体験した風景も役だっています。例えば『もののけ姫』の時、僕はタタラ場のシーンを主にやらせていただいたのですが、夕陽に輝いているタタラ場のショットがあって、そこは自分のイメージではリドリー・スコット監督の撮る映画みたいな感じと思いながら描いていました。もちろん映画のシーンをそのまま使うわけではなく、なんとなくリドリー・スコットってこんな感じだよなという風に描いたということです。また、草原のシーンは『サウンド・オブ・ミュージック』の冒頭の空撮シーンなどを思い浮かべて描いていました。
――アニメーションだけではなく、実写映画からインスパイアされる部分もあるのですね。
武重 なんにしても、食わず嫌いはもったいないということでしょうか。アニメーションを仕事にすると、演出家をはじめ、いろいろな人とコミュニケーションを取る必要が出てくると思うのですが、その時に”この映画のこの感じ”とか、小説を読んだときに浮かんだ風景や印象に残った絵画、実際に見た風景やその空気感など、いろいろな角度からのアプローチを持っていたほうが、多種多様な対応が可能になると思います。
――美術監督として、どこのシーンを誰に任せるのかはそれぞれの方の特性を踏まえて考えると思うのですが、その特性はどのようにして把握していくのでしょうか。
武重 一緒に仕事をしていると、この人はこういうのが得意なんだなというのがだいたい見えてきます。先ほど挙げた林くんに関しては、これまで仕事をお願いしたことはなかったのですが、逆に彼が美術監督を務めた『この世界の片隅に』(2016)を、僕が手伝わせてもらったことがあって。林くんは自身でも個展を開いていて、それを見にいったこともありました。彼の絵の持つ柔らかさを、ぜひ映画に取り入れたいと思い、声をかけさせてもらったというわけです。
――いろんな人の作品をよく見て知っていくことは大事なことなんですね。
武重 いい絵だなと思えば、どういう人なんだろうと気になりますし、いまのアニメーション業界は手描きでやっている人も限られてきているので、大体知り合いといえば知り合いなんですけどね。ただ、ここではこの人の絵がほしいと思っても、そんなにタイミングよく頼みたいシーンと、その人のスケジュールが合うことは少なかったりもします。普通は、なかなかそういう振り分けができるわけではないのですが『君たちはどう生きるか』では、このシーンはこの人と思ったら、その人のスケジュールが空くまで止めておこうということが可能だったので、そういうことができた希有な例だったと思います。
――改めて『スタジオジブリの美術』の見どころをお聞かせください。
武重 作品ごとに絵がまとまっていますので、映画を追体験しながら、背景美術の世界を楽しんでいただける本になっています。読んだ後に、また映画を見ていただいたり、映画を見終わってから本を見直していただいたりするのも面白いかと思います。ただ、結構な重さになってしまったので、ちょっと持ち運びが大変というのはありますが……。家でじっくりと見て楽しんでいただければうれしいです。
註釈
- 註9 井岡雅宏(いおか まさひろ)
1941年生まれ。北海道出身。『アルプスの少女ハイジ』『赤毛のアン』『草原の少女ローラ』『みつばちマーヤの冒険』『あらいぐまラスカル』『ペリーヌ物語』『家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ』『アルプス物語 わたしのアンネット』などの作品で美術監督を務めた。著書に『井岡雅宏画集 赤毛のアンやハイジのいた風景』(2001、徳間書店刊)がある。1985年逝去。 - 註10 保田道世(やすだ みちよ)
1939年生まれ。東京都出身。『未来少年コナン』『赤毛のアン』『風の谷のナウシカ』『天使のたまご』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『火垂るの墓』『魔女の宅急便』『おもひでぽろぽろ』『紅の豚』『平成狸合戦ぽんぽこ』『耳をすませば』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』『ゲド戦記』『崖の上のポニョ』『風立ちぬ』など、数多くの作品で、キャラクターの色指定や色彩設計に携わった。関連書籍として『アニメーションの色職人』(1997、徳間書店刊)がある。2016年逝去。 - 註11 山本二三(やまもと にぞう)
1953年生まれ。長崎県出身。『未来少年コナン』『名探偵ホームズ』『じゃりン子チエ』『天空の城ラピュタ』『火垂るの墓』『もののけ姫』『時をかける少女』などで美術監督を務め、『ルパン三世 カリオストロの城』『おもひでぽろぽろ』『耳をすませば』などで背景美術を手掛けた。著書に『山本二三背景画集』(2012、廣済堂出版)、『山本二三 風景を描く』(2013、美術出版社)などがある。2023年逝去。

武重洋二(たけしげ ようじ)
1964年生まれ、フィラデルフィア出身。『王立宇宙軍 オネアミスの翼』『トップをねらえ!』『老人Z』『機動警察パトレイバー the Movie』『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』『となりのトトロ』『おもひでぽろぽろ』『紅の豚』『海がきこえる』『平成狸合戦ぽんぽこ』『耳をすませば』『猫の恩返し』『ギブリーズepisode2』『崖の上のポニョ』『思い出のマーニー』『この世界の片隅に』などで背景美術を担当。『On Your Mark』『ホーホケキョ となりの山田くん』『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』『ゲド戦記』『サマーウォーズ』『借りぐらしのアリエッティ』『コクリコ坂から』『風立ちぬ』『君たちはどう生きるか』などで、美術監督を務めた。

『スタジオジブリの美術』
発行元:PIE International
ISBN:978−4−7562−5777−2 C0079
監修:武重洋二
責任編集:スタジオジブリ
判型:A4判
ページ数:568ページ
2025.1.16 スタジオジブリ にて
取材:齊藤睦志 ヤマモトカズヒロ/
構成・TEXT:齊藤睦志
写真:諸星和明/映像:加藤祐仁/
プロデュース:緒方透子
VECTOR youtubeでも動画版インタビュー(前後編)を公開中!
■アニメーション美術監督・武重洋二インタビュー 前編
■アニメーション美術監督・武重洋二インタビュー 後編
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