時の旅人 監督・片渕須直の現在位置
その時の、その場所へ。
映画館をタイムマシンにしてしまう映画監督がいる。
アニメーション映画監督の片渕須直さんだ。
『マイマイ新子と千年の魔法』(2009)では
昭和30年の山口県防府の国衙付近に。
『この世界の片隅に』(2016)では
昭和19年から20年の広島県中心部と呉に、
観る者を連れて行った。
準備中の新作『つるばみ色のなぎ子たち』では
西暦1000年前後の京都・平安京に連れていくという。
片渕監督に、対象へのアプローチを中心にお話をうかがった。
アニメーション映画監督・片渕須直インタビュー
片渕須直監督インタビュー PART1『マイマイ新子と千年の魔法』 公開15周年を迎えて

©髙樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会
――『マイマイ新子と千年の魔法』は、2024年11月21日に公開から15周年を迎えました。本作の監督を引き受けた経緯はどのようなものだったのでしょうか?
片渕須直監督(以下、片渕) 『マイマイ新子と千年の魔法』を作っていた時期から現在まで、ずっと一貫性を持ちながら仕事をしてきましたので、15年経ったという感じがなく、ついこの間のことのような気がしています。『マイマイ新子と千年の魔法』の直前までは『BLACK LAGOON』(2006)、銃を撃ったりする荒事がいっぱいでてくるような作品を作っていました。それは、僕の普段の作風と全然違う傾向の作品だったのですが、それだけにプロデューサーたちは「今回は別名でやってもらった方がいいのでは」と案じてくれていたようです。そんなプロデューサーのひとりで同時にマッドハウスの社長でもあった丸田順吾さんが、髙樹のぶ子さんの小説『マイマイ新子』を映画にしたいと思いついた。物語の舞台は昔の山口県防府市なのですが、丸田さんも同じ山口県出身で、読むとご自分の子どもの頃の体験が思い出された、と。僕の方でも、それまではテレビシリーズをメインに仕事をしてきていて、このあたりで劇場用の映画に向かいたいと行く思いがあった時期でした。当時マッドハウスのプロデューサーだった丸山正雄さんにもそうした要望は述べていたんですね。するとある日、丸山さんが僕のところに来て、「一番向いている人だと思って頼むのだけど、『マイマイ新子』をやってもらうことになりそうだ。映画で」と言われた。こちらの希望とプロデューサーたちの思惑が一致して、映画化が決まったというわけです。
――テーマごとに章立てされた原作を1本の映画にするときに、監督としてどのようにまとめようとされたのでしょうか?

片渕 原作は24章、そこに12ヶ月の物語が描かれていて、そこにあったエピソードをできるだけ映画の中に持ち込もうとしました。ただ、言葉として現れていた「この土地の千年前」については、具体的に描写されてなかったんですね。その部分をもっとローズアップできないかと考えて、現在と千年前を行ったり来たりする、もしくは入り乱れてくるような作品を作れないかなと思っていました。
千年前を感じてゆく
――実際に舞台となる場所で調べ歩いるときに、国司の館跡の発掘現場に出食わされたそうですね。

©髙樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会
片渕 まず設計として、千年前のエピソードを置くことにしました。ただ、防府のその頃の様子がわからない。何か手がかりはいないかと模索しているうちに、『防府』は周『防』国の国『府』があった場所なんですが、周防守として赴任してきた清原元輔という人がいたことに思い当たった。元輔の娘は清少納言です。清少納言は当時推定8歳ぐらいだったはず。偶然にも主人公の新子とほぼ同年齢です。ここを軸にして千年前の世界を繰り広げていければ、と思ったんです。
周防守になって京都から赴任する時、目的地までどうやって旅するのか。舟にも乗ったでしょう。ところが、清少納言が大人になって書いた『枕草子』には、舟旅をしたときの描写がほんとうにあるんです。陸地に近づくと舟乗りたちが仕事を始めて、揺れて怖かった、とか。こちらが空想するまでもなく、『その時どうだったか』が書かれている。そうした目安が出来てくると、こんどは実際に防府へ行こうとなったわけです。防府には埋蔵文化財を保存するために指定された地域があって、昔、国府の津(みなと)があった辺りも含まれます。インターネットで見てみると、そこには大きな地形の段差があって、これは昔の海岸線の跡ではないかと思われるわけです。早く現地へ行ってみたくなった。

©髙樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会
片渕 行ってみた防府では、実際に遺跡を発掘している現場に出会ってしまった。大きな邸宅の跡であるようでした。それが大邸宅であることを示す築地塀に囲われていた痕跡もあり、周防守の館なのではないか。もしそうだとしたら、今眼の前にある、現代の表土をのけた下から現れて見えている地面は、あるいは平安時代の地面なのかもしれない。8歳の清少納言が歩いていた地面そのものなのかもしれない。このときからですね、清少納言が古典文学の文字の上の存在ではなく、ひとりの人間としての存在として感じられるようになったのは。自分の中で明確に印象付けられたんですね、そのときから。
――新子たちの飛び跳ねている振動を1000年前のなぎ子が足元で感じたり、監督が実際に感じたことが、映像の中にしっかり入っているなというようにも感じました。
片渕 「千年前とは平安時代なんだろうな」くらいの認識でしかなかったときは、一寸法師とか鬼退治とか、そういったおとぎ噺みたいに千年前の物語を作ることも考えていました。それがもっと具体的な存在、本当にそこに生きていた人を感じられるようになると、別な方向に結実していったわけです。
――まさにそのなぎ子・清少納言が、新作の『つるばみ色のなぎ子』たちの主人公になっていくという流れになっていますが、『マイマイ新子』でなぎ子を描いたことが、どのような影響があったと考えていますか?

片渕 清少納言の本名が「なぎ子」だったかどうかは、江戸時代に行われたわりとあいまいな研究の中から出てきたものなので、本当だったのかよくわかりません。ただ、『マイマイ新子と千年の魔法』の子どもたちは、千年前に同じ土地の上にいた女の子を「なぎ子ちゃん」として認識した。それを踏襲することにしています。
このなぎ子はどういう人物なのか、どういう性格だったのか。清少納言が書いた文章にそれが現れているかもしれない。『枕草子』に書かれていることを極力理解しようとしました。清少納言が生きていた時代の背景についても理解を深めようとしました。清少納言の人生を年表にもしてみると、彼女は子どもの頃の数年を周防で過ごしたのち京都に帰って、まだ十代半ばで夫と出会い、もう子供を産んでいる。そうしたその先の人生があるわけです。大人になった彼女は、一条天皇の后、中宮定子と出会うわけなんですが、その定子が、政治的な状況とその変化に翻弄されて、つらく厳しい目にも遭うわけですね。清少納言は定子のその道のりを共にして生きた。子供の頃には考えてもいなかったような人生が、先に待っている。大海原というか荒波みたいなものが待っている。そんな人生がやがてやってくる子ども時代として描ければ、と思いました。
そんなうちに、今度は大人になってからのことも何か映像にしてみたくなっていったんですね。何より、おとなになった清少納言の周りにいる人物たちが魅力的だった。あの子ども時代を過ごした彼女は、やがてこんな人々の輪の中に入ってゆく。その姿も描きたいな、と広がっていきました。
僕は彼女が歩いていた地面を最初に見てしまっている。すると『枕草子』も純粋に文学的な作品としてではなく、存在を持った人物が自分がたどった人生のページで出会ったものを切り取って貼ったアルバムだったように見えてくる。このページとページの間には何があったのだろうな。そうしたところに調べを広げていくことになるわけです。
その時のその場所の様相を「スケッチ」する
——『マイマイ新子』の舞台、昭和30年頃の山口県防府の様子を調べ尽くすことをされましたね。
片渕 調べることが目的ではないんですよ。理解したい。それが目的です。知識を増やすことではなく、その世界を感覚的に味わえるようになりたい。そうやって手に入れたおもしろいことを、映画を通じてお客さんに提供したい。
映画そのものの目的とは、「観る人の驚きを喚起すること」だと思っています。驚きというのは、ネタバレみたいな意味ではないです。清少納言が子どもの頃に歩いた地面を見て、驚きを味わうみたいな感じです。
じつは、防府市の国府関係の発掘の経緯も調べました。あの映画の中で発掘されていた場所は、実は映画が描く昭和30年当時にはまだ発掘されていない場所です。史実としてはあの場所は2007年まで発掘されないのですが、映画の中では「彼女がそこにいた地面」を描くことが大事だったわけです。
――監督が知りたいと思って感じたことを映画にまとめ上げるときに、特に大事にすることと苦心するところはどこでしょうか?
片渕 苦心することはないです。自分の主観でタイムマシンでその場へ行ったみたいな気がするところまでいったら、あとはそこで目にしたものをスケッチをするみたいな感じです。そのまま画面にして映画館に持ち込みたい、そうなってくるわけです。
――自分が分け入った世界をスケッチして映画にするような気持ちなんですね。

片渕 まさにそんな感じでいます。
『枕草子』というのは、清少納言が自分の生きてきた中で印象深く味わったことを、視覚的なイメージとして記憶して、それをもう一度視覚的なイメージとし手思い出し、それを文字でスケッチするみたいにして書いているんだと思うんですね。文字で書かれた写真アルバムみたいな。ああ、自分と同じようなことをしてる人なんだな、と思ったりもしてしまうわけです。もちろん、僕がやっていることとは次元が違うでしょうけども、すごく共感できる。
「理不尽による日常の浸食」を描く
――『マイマイ新子』でも、例えば金魚のエピソードであったり、タツヨシのお父さんのエピソードのような、理不尽による日常の侵食が、現在まで続く監督にとっての大きなテーマになっていると感じているのですが、この時点ですでに、その予感はあったのでしょうか。
片渕 この作品の前に『アリーテ姫』(2001)という映画を作ったのですが、アリーテ姫はもう日常が侵食されきっている主人公です。あの物語は、まだ何も触れていない、外界に触れていないという主人公がいて、「せめて今いるところから外へ出ることができれば」「そこで自分が何者かになることができれば」そう願う物語です。はじめ彼女は自分が何者にもなっていないと感じてくらしていて、やがてひとつの実りを得てゆくわけですよね。
『アリーテ姫』を作リ終えて考えてしまったことがあって、この作品以降に作ろうとして作品、企画にには共通してひとつの傾向がありました。それは、「何者かになる」というのがうまくいって「自己実現」につながることもあるだろうけれど、その反対のことだってあってしまうのではないか、ということです。『ブラックラグーン』というのは、本来生きられたかもしれない人生から外れて、悪人になってしまった登場人物たちが繰り返し登場してくるという物語です。みんなが自己実現できるんだったらそれは素晴らしいだろうけれど、そうではなかった人生は全否定できるのか。犯罪者になってしまうこともあるだろうし、病気で可能性を閉ざされることもあるかもしれない。でもそんな中にも人生と呼べるものがあるはずで、それをすら否定しないことにしたい。まあ犯罪的なことは否定されなきゃならいんだけど、でも、ちゃんと見つめてあげるというか、見つめなければいけないんじゃないか。そういったことを『アリーテ姫』以降、考えていたわけなんです。特にアニメーションの観客層が、かつての年少者ではなく、大人に移り変わった時代であるからこそ、そうした意識は大事なのではないか。それが『ブラックラグーン』を経て、『マイマイ新子』という子ども時代を描く題材になってなお、生き続けた感じがするんですね。子どものためのお話だけど、大人にも見てもらいたい。子ども向けのアニメーションが成立しずらくなった時代でもある。まず大人に見てもらう。感じてもらう。そののちにその大人が自分の子どもにも見せたいと思うような映画であるべきだと。単純な自己実現の成就みたいなことではなくて、何かそうではない、「つまずき」とかいろんなことがあって、その結果、進みたい道とは違う方向へ進んでいってしまう人生がたくさんある。それが現実なんだ。

©髙樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会
そんな中に子どもたちが置かれていて、大人のお客さんたちに、あなたたちもこういう子ども時代ありましたよねっていう、語り掛けをしたかったんです。それは純粋に低年齢層に向けた作品だったら、描かなくても良いのかもしれないですけども、今作るられるべきものはこうだろうという思いがありました。