時の旅人 監督・片渕須直の現在位置
片渕須直監督インタビュー PART3『つるばみ色のなぎ子たち』 1000年前を丁寧に再現したい

©つるばみ色のなぎ子たち製作委員会/クロブルエ
――次回作『つるばみ色のなぎ子たち』のタイトルとティザービジュアルが2023年5月に公開され、そこから1年半が経ちました。
片渕 『この世界の片隅に』が71 年前(映画完成の2016年現在)くらいの世界を描いた作品なのですが、自分たちが実際にそこで生きたわけではない時代を細かな部分まで再現することができたのではないか。当時を実際に経験した世代の方々から多く「あの時代の空気を最もよく表した映像作品」といっていただけた。では、同じ方法で何年前まで描くことが出来るのだろうか。いっそ千年前はどうだろう。そうした力技を行うには、本当は人数的なパワーが必要なんですけど、われわれは少数精鋭で作っています。どうしても費やす時間が長くなってしまう。ただ、世界への没入感がこの映画の大事なところで、単にストーリーを描き出すということだけが目的ではない。どうしても時間がかかってしまいます。2023年9月にパイロットフィルムを公開して、興味を抱いていただいている方も多いと思うのですが、なかなか次のステップをお伝えすることができない。そういうものを早く見せられるようになるといいなと思っています。
原作や原作者との向き合い方
――前2作と違って本作は監督のオリジナル企画ですけれども、『マイマイ新子と千年の魔法』でなぎ子と出会ったことが、作品の動機のひとつになっているかと思うのですが、いかがでしょうか。

片渕 原作がないと言っても、実際には『枕草子』があるわけですよね。その『枕草子』に書かれていない背景になる部分も、『栄花物語』とか『大鏡』だとか、もっとたくさん存在する当時の文献に書かれているところがある。そういったものを拾い集めて、組み立てていくことはできるわけです。その中でも、もっともディテールにまで踏み込んで書かれているのは『枕草子』です。もちろん、何のことを書いているのかわからない部分もあります。そうしたところまで感覚的に理解できるように深めてゆくことを考える。細部のひとつひとつに、それが何をするもので、どんな形で、何色で、といった実感を抱けるようにするために、時間を費やすべきと思ってます。
――前作までで言えば髙樹のぶ子先生もこうの史代先生もご健在でいらして、本当にわからないことがあったら尋ねようと思えば尋ねられる状態だったと思うのですが、今回は千年前の話なので勝手の違う苦労などもあるのではないかなと思います。
片渕 『この世界の片隅に』は2010年8月に映画を企画して、その時点でこうのさんからもお手紙をいただいたりもしたんですけど、実際にお会いしたのは翌年の7月で1年後ぐらいなんですね。その間にこちらは何も尋ねない状態で、原作をヒントに、例えばすずさんが住んでいるのはどういう場所なのか、呉の地図を手に入れることはできるけどそれのどこなのかとか、呉のすずさんが住んでいないエリアはどうなってたのかとか、どんどん自分の中に蓄積することを行った。なので、その後にこうのさんとお目にかかったたときにも、すぐに具体的な話ができた。一方的に教えを乞うんじゃなくて、お互い話を重ねてすり合わせることができるようになっていたんです。そういう関係の方が良いような気がしていて。
髙樹のぶ子さんに最初にお目にかかったのも、髙樹さんは九州に住んでおられるのですが、上京された折に、ホテルのラウンジでででした。最初にうかがったのは、航空写真を開いて「新子ちゃんの家はどこですか?」でした。髙樹さんは、指さしながら「通学路はこうで」と教えてくださり、「竹林があってそこを曲がって、あれれ、道がわからなんくなっちゃった」と。でも、こちらは、見ていてどこで道を間違えられたのか分かっていた。
そうだ。こうのさんにお目にかかったときに最初に尋ねたのも、「すずさんの家はどこですか?」でした。「バス停からこうやって家に向かったかな。この家と家の間を通り抜けて、あれれ、わからなんくなっちゃった」と、やはり。そうしたときには、地図ではなく航空写真を見ながら尋ねるのですが、航空写真であることが何か大事だったような気がしています。作品の中身とかテーマとかは原作を読めばわかるのですが、よりいっそうわかりたいのは肌触り感なんですよね。土地の肌触り感みたいなもので、抽象化して描き直した地図ではなく、航空写真でそれを教えていただきたかったんだと思います。
そういう意味では『枕草子』もかなり「わかる」んです。性格も含めて清少納言って大体こんな人だなって具体的なイメージがつかめてきていて、おおよそにはそれまでの作品とあまり違わない。彼女の肌触り感は『枕草子』の中にかなりあります。すごく具体的に書いてあって、ただ彼女は同時代の人が理解できるくらいの文章としてそれを書いている。千年後の人として読み解くには、それなりの能力が必要です。でもほんとうの意味でそうしたものがあるのであれば、かなり細かなことまで知ることができると思っています。

©つるばみ色のなぎ子たち製作委員会/クロブルエ
例えば、平安時代の文章って、「あいうえお」の「ん」が無いんですね。濁点とか半濁点もありません。清少納言は「夜中に『こほこほ』と足音が聞こえる」と書いている。たくさんある現代語訳はこれは「ごほごほ」か「ごぼごぼ」だろうとしているわけですが、僕は「こぽこぽ」じゃないかなと考えています。履いているのが木靴ですから「こぽこぽ」という音になる。夜中に時を告げる当番の人が、石畳の上をそんな足音を立てながらやってくる。それが少し遠くに聞こえる夜中の静けさみたいなものまで含めて、自分の中に焼き付いてくる感じを味わいます。
でも、その時履くのが木靴で、歩く地面が石畳であるとわからないと、答えは出ない。清少納言は細やかな機微を文字で書いてくれているのに、それをどう読んでいいかわからない部分がかなりできてしまうわけです。清少納言が書いたものは平安時代のうちに写本を重ねられ、ミスが蓄積してかなり内容が損なわれてしまっていたようです。平安時代の終わりから鎌倉時代の時期に藤原定家が十分に考証した上で、それを整理、復元しようとしたらしくて、それが『枕草子』の「三巻本」というものです。ただ、そのときに定家が整理しそこなった、あるいは整理できなかった部分もまだ残っています。文章が途切れ途切れになっているのでわかります。自分でそれを、こう組み合わせるんじゃないかなと整理してみたら、意外にも原文の意味がわかったこともありました。それは「冬だからといって十二単の着重ね中に綿入れを混ぜて着るものではない。格好悪くなる」ということでした。実に具体的なことがわかって、なるほど、と思いました。
清少納言が味わっていたこと
片渕 実はその以前に、十二単の冬服で、綿入れを混ぜて着るのかどうかという問題を考えていたこともあったわけです。綿入れの服そのものがあったのはもうわかっていたのですが、たくさん着重ねているどれが綿入れになるのか、と。実際に綿入れの服を、綿の使用量から出来上がりの厚みを計算して、再現して作ってみたら、妙に分厚くどてらみたいな感じで、なんかモコモコして見えたんです。この布団みたいなものを着てたのだとうか、と思っていたら、先程の『枕草子』の文章が混乱している箇所が、「冬に綿入れみたいなのは、かっこう悪いから働くときの服の中に着るのはやめましょう」って書いてあるのだと気がつけたんです。部屋着としては着ていたようなんですが、いわゆる十二単はフォーマルスーツです。次に、紫式部が書いた『紫式部日記』を同じ目で見てみたら、紫式部が中宮の前を下がって私室に戻って、一番最初にするのが、「堅苦しい服は脱ぎ捨てて、ちょっとかっこ悪いやつに着替える」なのだと読めた。それって今の一人暮らしの女性の感覚そのままですね。清少納言はフォーマルスーツに綿入れをを混ぜて着ると格好悪いと書き、紫式部は部屋着には格好の悪いものを着ていると書く。当時、宮中で働いている女性のフォーマルスーツと部屋着のTPOのニュアンス、「私室なのだし人目を気にしない」みたいな感じもわかってくるわけです。
そういう感じで、『枕草子』をほかのもので補完しながら読み進めて、清少納言が味わっていたことがそれなりに自分たちも理解できるようなっていけるのではないか。画面に描くべき何かをつかむことができるようになるのではないか。
いわゆる十二単というのは、色とりどりの服を重ね着するのですが、その色とりどりの中にブルーがないんです。赤、ピンクと、黄色、黄緑、緑、白、薄紫、濃い紫とかなんですね。ブルーが出てこない。『源氏物語』にブルーがちょっとだけ出てくる。目立たない内側の方に着るものにブルー系が使われている例が一例だけあって、他にはいろんな文章表現の中にも、十二単の中のブルーが全然出てないんです。さっきの話と関連するんですけど、十二単というのは、冬服と同じものが夏にもそのまま着られるわけではないんですね。そんなことをしたら暑くてたまったものではない。はっきりと薄着の夏服があるんです。いつ衣替えするかっていうと、当時の暦の大陰暦の4月になると衣替えをして夏服になる。また10月に入ると冬服になる。6ヶ月です。半年は十二単じゃないんです。衣替えは男性にも行われ、男性も同時に着替えるのですが、その男性の夏服がブルーなんです。二藍という色名です。紫と思われて来たのですが、二藍はコバルトブルーなんです。女性も、夏服はブルーを中心に、白を着たりもします。ブルーと色が避けられて使われないのではなくて、夏服用の色だったんですね。
さて、そうなると、映画の登場人物全員に夏服と冬服をデザインしなければいけなくなってしまった。と同時に、映画の各場面が何月何日なのか全部設定しないと駄目になった。夏服なのか冬服なのかはっきりさせなければならないので。夏服になる衣替えでは、服だけじゃなくて部屋の中も全部夏に変わるわけです。『マイマイ新子』でも夏になると、家の中のふすまとか障子とかが、風通しの良いものに変わってたりするのですが、それと同じことが平安時代にも行われていた。

©つるばみ色のなぎ子たち製作委員会/クロブルエ
夏服と冬服以外にもあります、喪服です。実は清少納言の時代には疫病が繰り返し襲来し、人がたくさん亡くなっている。誰の親族の誰がいつ亡くなったかを把握しなければならない。亡くなった人と喪服を着る人の関係によって、喪服を何日間着なければならないかも変わる。
そういう感じで平安時代に生きた人々の姿を捉え直してゆくと、ただ艶やかで雅やかであるということだけでは攻めきれない。まさに生活感の機微から、攻略していく感じなんではないかなと思います。
「画」にすることから見えてくること
――監督は本作でも積極的にイベントなどで制作途中での進捗状況などをお話されてますが、そこにはどんな思いがあるのでしょうか。

片渕 一般の方にもアピールしたいし、それこそ古典文学の研究者の方々にも、今まで文字で見ていたものの後ろにあるだろう具体的な映像をイメージしたら、こういうふうになるのだけど、というのを見ていただきたいんです。最近は実際に学会や研究会のようなところで、古典文学の先生とお話することが多くなって、「こちらの目で見て初めてわかったことは、こういうことがあります」みたいなことをお伝えする機会も増えてきています。
『文藝春秋』(2024年5月号)に、清少納言や『枕草子』について、今まで定説だと思われたことも、ちょっと目線を変えたら、別の結果が出てくることもある、という原稿を書いたのですが、その雑誌の編集の方から「高い年齢の方のリアクションがすごく良かった」とい伝えていただくことができた。こういう時代に視野を広げているのは、割と年齢が高い世代なんですね。となると若い人たちにはどうやってアピールすればよいのだろう。
ひとつ思ったのは、学会などで出会う研究者の方は、同時に大学の先生でもあるのだから、背後に学生の集団がいるはず。ということから、学校でお話をさせてくださいということを提案しています。
また、ある大学の先生からは、「うちのキャンパスには理系の学部もあるんですが、理系の学生の方がすごく喜んで聞いてくれる話かもしれない」というふうにいっていただけたりもするわけです。平安京というのは実は平地ではなくて、特に内裏があるあたりは、土地に傾斜があるわけです。その土地の傾斜をこれこれの推定をして割り出す。その斜面の上に建つ内裏の建物は、こういう感じで階段状になるっだろう、というふうに設計して美術設定デザインを描いてるんです、みたいな話をしたからなんですが。「理系の学生に聞かせたら興味を持って、そこから古典文学への興味も生まれるかもしれない」と。
そんなところから、普段古典文学に接してないようなタイプの人たちまで届いてゆく可能性もあるのかもしれなと思うようになりました。
僕らの作る映画、さらには『枕草子』のような古典文学をどのように受け入れてもらえるか。そうした道も作っていかなければいけないと思っています。
監督自身が「物語の紡ぎ手」だからこと読み出せること
――清少納言について、先日のイベント(2024年9月7日開催「ここまで調べた『つるばみ色のなぎ子たち』」で『落窪物語』の話をされていました。『落窪物語』に最終巻を書き足したのが清少納言だったかもという説があるのだけれど、正しいのかもしれない、というお話で、資料や原文を読み解くときに監督自身が物語の紡ぎ手であることが大きなポイントでなのではないかと感じたのですが。
片渕 『枕草子』には中宮定子という漢詩や和歌にす興味や造詣を持つ若い女性が登場する。そこに清少納言が女房となってやって来る。清少納言は父親が有名な歌人なんだけど、清少納言自身は人前で歌を詠むことを嫌がる。だとしたら、定子として、清少納言が仕えるようになって嬉しいと思う理由があまりないのではないか。であるのに、初出仕から間もない時期に「今夜は部屋に帰さない」といって、徹夜で話し相手をさせられている。夜が明けたらさすがに終わりかと思ったら、それでもまだ定子は離してくれない。そういう定子の側からの清少納言への興味って何から生まれたんだろうな、と思わざるをえなかったんです。脚本として組み立てるときには、人物の関係性を成り立たせる動機として、答えを出さなければならポイントなんです。
――イベントでは、その部分がないと「シナリオ会議でハネられる」とおっしゃってましたね。
片渕 一般的にはそんな感じになるでしょうね。なのでまず、その定子がどういう人なのか、「和歌が好き」「漢詩が好き」と箇条書きしていったわけです。清少納言の方も「歌を詠むのが嫌い」「人が良い」とか書いていく。そうするとやはりかみ合わないんですよ。清少納言自身がいかにかみ合わないかを『枕草子』の中に書いていて、早く中宮の前を去って部屋に帰りたいとか、もうあそこに出たくないとか、駄々をこねてたしなめられたりもしている。定子の側とはあまりにも非対称な感じで、なんでなんだろうなって考えたわけです。
『落窪物語』は作者がわからず、最後のところを、『枕草子』の作者である清少納言が書き足したという説があるのですが、なぜそうしたのかというところまではわからないんです。それで、もう一度『落窪物語』を読み直してみました。この物語は『シンデレラ』なんですね。17世紀のペローの童話が有名ですが、実はあの話ははるか以前の別のところに根源があって、それが世界中に広がっていったらしいんです。日本に来る前は、中国の唐で語られていたというところまでわかっています。そこから日本に来て、改めて日本の事情に合わせて書き直された。当時の日本人は靴を履いていませんから、靴のサイズが合わないというような部分は省かれてしまう。いじめられている女の子といじめている継母がいて、助けに来る白馬の王子様のような男性がいるところは原型通り、そういった人物の関係は『シンデレラ』のままです。
『落窪物語』での白馬の王子様は道頼という名で、これまでの古典文学の研究の中では、中宮定子の母違いのお兄さんのひとりが藤原道頼という名なので、その人がモデルではないか。定子の肉親をモデルにするぐらいだから、清少納言が作者なのではないか。そんなふうにつながっていていたようです。ただ、よく読んでいくと、道頼という名前が出てくるのは、別の作者によって書き足されるより前の部分でなんですね。その部分が書かれたのは、藤原道頼が元服してその名前を名乗るより前だったはず、と思うんです。だとすると、空想で書かれた名前にすぎないわけです。
本来のシンデレラのストーリーに沿って、閉じ込められていた娘を救い出し、悪い継母を懲らしめましたというのが『落窪物語』でも本来の形だったのでしょうが、そこに別の誰かがさらに違うラストを書き足した。ここでは、仕返しされてしまった継母や継母の娘だとかまで含めて、みんなで幸せになりましょうという話になっている。その部分を書いたのは誰なのか。
書き足し部分で白馬の王子・道頼が行うことと全く同じことをやった人物がいる。定子の父親の藤原道隆なのです。白馬の王子・道頼と実在の道隆の経歴もかなり重なる。白馬の王子・道頼の妹が天皇を産み、いじめられていた落窪の君と道頼の間に生まれた娘がその中宮になる。道隆の妹・詮子が一条天皇を産み、道隆の娘・定子が一条天皇と結婚するという史実と重なるわけです。白馬の王子・道頼は、継母と同じ側にいる落窪の君の父親に、大納言という自分の官職を譲ってしまう。実在の道隆も自分がなるはずだった太政大臣を人に譲っています。
『落窪物語』のラストを書き足した人は、敵も含めて「みんな幸せにならなければ駄目だ」という価値観を持っている。そして、道隆についてもそうした考え方を持ち、実行している人物であると思っているようです。
『枕草子』を読んでいると、清少納言がそんなに何度も会ってない道隆に対して、とても思い入れていることが書かれています。定子がそれを指摘して、からかったりしているんですね。
清少納言とは、敵と争ったり懲らしめたりするよりも、みんなが幸せになることを好み、それが自分にとって必要だと思う人だったのではないか。

ということで、清少納言には、『枕草子』だけではなく、物語・小説をも書いていた可能性がある。その中には、これから女房として仕える中宮定子の父・道隆が、そして定子をモデルにしたと見える中宮が登場する。彼女が中宮になることで、すべてが幸せになる。シンデレラと王子様の間に生まれた輝かしい娘が定子。彼女が存在することによって、全部が丸く収まり、世界を救うような栄光の輝きを放つ。定子から見ると、自分のことをそんなふうに物語の中で書いてくれた「作家さん」がうちにやって来る、ということになります。
そうした前提があるならば、『枕草子』に書かれている、清少納言が中宮に初出仕した頃の定子の様子も、筋が通るなと思ったんです。これは自分の肌合いとして見つけていったものです。一般的な学説・研究の中では、まだそんなふうに見られてないだろうと思います。
終わりに
――最後に全体を総括して、監督にとって作品を作るということはどういうことなのでしょうか?
片渕 実は作品を作る前に自分の頭の中には画も含めてほぼできているんです。だから僕自身にとってはあらためて映画に作るまでもなかったりもしてしまうのですが、ではなぜそれをあらためて映画として描くのかといえば、「ねえねえ、こんなおもしろいお話があるんだけど」と言いふらしたい気持ちと同じものです。皆さんにも同じものを見てもらいたいという気持ちです。そして、同じものを共有するのならば、できれば深いところまで一緒に行きたい。それは「世界を理解していく」みたいなことです。まだ映画は完成した姿を現さないのですが、いずれそういうところに立っていただけたらありがたいな、と思います。

片渕 須直(かたぶち すなお)
1960年生まれ。日本大学芸術学部特任教授・上席研究員。大学在学中に『名探偵ホームズ』の脚本を手がけてから、今年で43年目。監督作はTVシリーズ『名犬ラッシー』(96)、『BLACK LAGOON』(06)、長編『アリーテ姫』(01)、『マイマイ新子と千年の魔法』(09)、『この世界の片隅に』(16)、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』(19)など多数。疫病の中に生きる千年前の人々を描く映画『つるばみ色のなぎ子たち」を現在制作中。
2024.11.20 コントレール会議室 にて
取材:ヤマモトカズヒロ/
構成・TEXT:齊藤睦志
写真:諸星和明/映像:加藤祐仁/
プロデュース:緒方透子
VECTOR youtubeでも動画版インタビュー(前中後編)を公開中!
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