Feature

時の旅人 監督・片渕須直の現在位置

Index

宣伝担当者の記憶②『この世界の片隅に』〜片渕須直監督のナナメうしろから

 

山本和宏(『この世界の片隅に』制作宣伝)

 

プロローグ:『マイマイ新子と千年の魔法』・片渕監督の舞台挨拶に進行役として立つ


©2019こうの史代・コアミックス / 「この世界の片隅に」製作委員会

これから記すことは、映画『この世界の片隅に』に「制作宣伝」としてたずさわった、私の主観で見た光景である。そのことをお断りしておきたい。

私は、片渕監督の前作『マイマイ新子と千年の魔法』に、宣伝プロデューサーとして参加した。片渕監督とは初めての仕事だった。最初のうちは意思疎通がうまくいかないこともあったが、最終的には「お母さんは、泣いてました」をコンセプトにしたTVCMに対して、「よくここにたどり着いたなあ」とお褒めの言葉をいただけた。公開、興行不振から蘇生への転換点のひとつ・ラピュタ阿佐ヶ谷でのレイト上映以降、私は片渕監督の舞台挨拶の進行を務めることが多くなった。片渕監督の傍らにいて、舞台側からお客さんの様子を見られるという特別な視点に立つということだ。そんな私の目線から見た『この世界の片隅に』に関する光景を記してみたいと思う。

最初の接触点・練馬アニメカーニバル2013

「片渕監督の次回作がうまく進んでいないらしい」という話を耳にした。資金集めに難渋していたのだ。
私も、2013年に初めて担当することになったイベント「練馬アニメカーニバル2013」でなにかできないか、と考えた。そして「片渕須直監督と見る『名探偵ホームズ』」というプログラムを企画し、11月9日に実施。プログラムの最後に、『この世界の片隅に』の制作中映像の一部を上映した。これが、私と『この世界の片隅に』との最初の接触点だった。

第1のうねり・『この世界の片隅に』制作支援メンバーズ募集大成功

丸山正雄プロデューサーから突然呼出しを受けたのが、2015年1月だ。MAPPAの会議室に行くと丸山さんと片渕監督のほかに見知らぬ人物が3人いた。ジェンコの社長・真木太郎プロデューサーと制作の米森裕人さん、ライターの稲田豊史さんだった。
「クラウドファンディングを考えてるんだが、どう思う?」
真木さんが単刀直入に聞いてきた。
「向いてると思います」
少し考えてから、そう答えた。『マイマイ新子と千年の魔法』での片渕監督とお客さんの交流を間近に見ていたからだ。私にもはっきりと顔が浮かぶお客さんが何人もいた。あの人たちは、きっと支援してくれる。
そこから、クラウドファンディングの準備が始まった。
もちろん「制作宣伝」業務もスタートする。制作宣伝とは、映画の配給会社による公開に向けた宣伝が始まる以前より、制作の動きに沿って宣伝したり、今後の宣伝のために素材を集める業務のことだ。幹事会社・ジェンコの米森さんと安部幸枝さん、フリーライターの稲田さん、ジェンコをサポートするウォーターマークの尾崎健史さんとライトスタッフ(山本、岩澤尚子、宮村猛司)が制作宣伝チームであったといえるだろう。
MAKUAKEのクラウドファンディング実施サイトとは別に、宣伝用の公式サイトを作ることにした。「お金を集めることよりも、仲間を集めることが重要」という真木さんのスタンスを受け、参加者のことを「制作支援メンバーズ」と呼ぶことにした。

3月9日に、クラウドファンディング「制作支援メンバーズ募集」が始まった。
すると、初日から多くの支援者が集まり、わずか8日で目標金額2000万円を超える支援を達成した。
最終的には3374人の方が参加、当時のクラウドファンディング史上、エンタテインメント分野で最高額となる約3900万円に到達した。この短期達成・史上最高額は、ネットニュースを中心に一気に拡散。ニュースがニュースを呼び、情報がどんどん拡散されていく。「現象化」が起きたのだ。
この、クラウドファンディング短期・史上最高額達成の「現象化」が「最初のうねり」となった。

このころの様子に加えて、片渕監督と原作・こうの史代さんの所感が、VECTOR Magazineの特集記事に掲載されている。ご興味の向きはご覧いただきたい。

【応援集中!『この世界の片隅に』アニメ化支援クラウドファンディング躍進中! 監督・片渕須直×原作・こうの史代対談】

「制作支援メンバーズ」の方々とともに

クラウドファンディングの大成功を受けて、映画『この世界の片隅に』は正式に製作決定され、6月3日、プレスリリースが配信された。
そのころ、制作宣伝チームは、「制作支援メンバーズ」の皆さんに向けた様々な発送・発信物の準備で、大わらわだった。支援メンバー証である缶バッジの発送、東京・広島・大阪で開催する「制作支援メンバーズミーティング」や制作現場からの速報レポート、四季折々に発送する「すずさんからの手紙」の準備などだ。

中でも、片渕監督発案の「すずさんからの手紙」は、印象深いことがいくつもある。制作に関しては、昭和19年当時のはがきに見えるような用紙を選択。さらに、鉛筆で手書きしたような印刷色の調整など、片渕監督の厳しいチェックが何度もあった。発送は、まず呉の支援チームに送られ、そこから毎日数百通ずつ呉の郵便局に持込んで発送してもらった。呉にいるすずさんからの手紙を、リアルに感じてもらうため、呉の郵便局の消印が必要だったのだ。しかし、発送後に困った事態が起きた。無事に届いたはがきは問題ないが、登録時の不備や転居などで不達になったはがきは戻ってきてしまう。差出人名は北條すずで、住所は当時のもので現存しない。不達のはがきたちは、誰の手元にも戻すことができず、呉の郵便局に留まった。こちらは、誰に届いてないのか特定して再送するため、はがきの返却を求めたが、郵便局側は北條すず本人と確認できないと返却できないといい、回収できず仕舞いとなった。2通目以降も同じことが起きると困るので、対策としてすずさんの名前の後に事務局としてジェンコの名前と住所を入れる案を考えた。だが真木さんが「そんなかっこ悪いことするな」と一蹴。2通目以降も、何枚かの不達はがきが呉郵便局に舞い戻ってきたことであろう(1通目の不達者にはその旨連絡をもらって、正しい住所で再送していたので、ほぼ解消できていたが漏れは否定できない)。
この昭和19年〜20年の北條すずさんからの手紙、というスタンスは結果的に大成功だった。支援者の手元に届き始めると、それをツイッター(現・X)につぶやく人たちが出てきた。その中に、とても印象的なものがあった。ある男性のツイートだ。その趣旨は「家に帰ると、なぜか奥さんが怒っている。突然1枚のはがきを突きつけ、このすずって女だれよ? 一緒に宮島行きましょう、ってどういうこと? と本気で詰め寄られた」というものだった。男性は、事情を説明して理解を得たそうだが、これこそがこの「すずさんの手紙」の真価だったのだ。たかがはがき1枚というなかれ、申し込んだ当人にはフィクションのキャラクターからの手紙ではあるが、その奥様には「北條すず」は実在する人物であった。そう感じさせる力を「すずさんの手紙」は確かに持っていた。

忘れられぬ「練馬アニメカーニバル2015」のこと

クラウドファンディングの大成功もあり、製作委員会への参加社(映画への共同出資社)も集まり、配給も東京テアトルに決まった。劇場公開に向けての宣伝を主導する「配給宣伝」を、東京テアトル宣伝部の山口亜美さん(当時)と浅見典子さんが担当。彼女たちが中心となって、劇場宣伝が2015年8月1日に開始。一部の上映予定劇場で、特報の上映とティザーポスターの掲出が行われた。クラウドファンディング用サイトも、『この世界の片隅に』公式サイトに移行し、特報とティザー画像を公開。特報の閲覧回数は急速に伸び、「これだけで泣ける」と話題となった。

個人的に強く印象に残っているのが、10月17日「練馬アニメカーニバル2015」で実施した「『この世界の片隅に』公開まであと1年!記念トークイベント」のことだ。ゲストは片渕須直監督と原作者こうの史代さん。私は、聞き手兼進行役として壇上に立った。約500席の会場はほぼ満席だった。
密度の高いトークが終わりゲストが降壇、最後を締めるべく壇上から満席の客席を見回したときだった。なにか強い感情が押し寄せた。それをそのまま言葉にしようとした。それは。おおむね次のようなことだったと思う。「この『この世界の片隅に』の宣伝費も決して潤沢なわけではありません。厳しい戦いになると思います。ただ——いまここに、公開の1年も前のイベントに500席を埋め尽くすお客さんがいらっしゃいます。これは凄いことだと思います。普通の映画宣伝ではできないことが、できるんじゃないかと思います。どうぞ公開に向けて応援をお願いいたします」。感じたことを、そのまま口にしているうちに胸を衝かれ絶句した。涙が出ていた。その時。その姿を見たお客様たちが客席から「がんばれ!」と声をかけてくださったのだった。その声を聴いて、また、涙があふれた。なにか、これまでの映画宣伝と違うことが起きる……。その時感じた思いは、1年後改めて実感することになるのだが、この時はまだ予感でしかなかった。 (余談だが、このできごとが原因で私は「泣くやつ」認定を受けてしまった。片渕監督もお客さまも「きょうはどうかなー?」とニヤニヤしながら私を確認することがある。一度印象がつくと、なかなか消えないものだなぁ……)

ムビチケ特典と呉市立美術館の展覧会

2016年に入ると、公開に向けた宣伝業務は加速していった。業務の主軸は、東京テアトル宣伝部のおふたりが中心に進めていく中、私たち制作宣伝チームは細かい部分をフォローしていった。 3月のAnimeJapanから発売された、ムビチケ第1弾の購入特典として、カット493(防空壕作業後のすずさんと周作さんのキスシーン)のパラパラ動画冊子を制作した。特報冒頭に使われている印象的なカットなので問題ないだろうと制作したが、のちにリテイクとなった絵も含まれていたため、完成後に監督からえらく叱られたことを覚えている。

 

呉市立美術館では、「マンガとアニメで見る こうの史代 この世界の片隅に 展」が7月23日から開催されたが、この準備にも力を入れた。展覧会は、こうの史代さんの原作マンガ原稿全ページ展示が中心だったが、アニメ作品の展示スペースも広く用意されていた。我々アニメの宣伝チームとしては、そのスペース用の展示内容を決め、展示できる形に準備するのが本来の役割だった。だが——。マンガは右上から左下に向かって読むものなので、展示も基本は「反時計回り」でなくてはならない。しかし、美術館本来の展示スペースが時計回りに設定されているため、進行方向を逆回りにする必要がある、ということを学芸員さんに理解してもらうところから始めなければならなかった……。また作品中盤過ぎの超重要な場面以降の展開については、物語上の大きな「ネタバレ」を含んでいるため、それを意識してもらうような対応をお願いしたりもした。美術館のイベントもいくつかお手伝いさせていただいた。開会初日のこうの史代さんのギャラリートークのプレツアー企画と本番の進行、8月に実施された真木さんのトーク、同日午後に実施された片渕監督とこうのさんのトークの進行役なども担当した。

第2の大きなうねり・主演のん

本予告編の制作もテアトルチームと一緒にやらせてもらった。白仁田康二さんという凄腕の予告編制作者に依頼し、監督の厳しいチェックを受けながら完成までもっていった。片渕監督としては「戦争ものではない。戦争の中で暮らす日常生活の物語だ」ということを重要視していた。試行錯誤の結果、白仁田さんが「空襲もう飽きたー」という、晴美ちゃんの言葉を生かしたプランにたどり着き、監督の納得を得られた。
この本予告が8月24日に公開され、プレスリリースも配信された。
そして……。
そこに初めて記されたのが、女優のんさんが、主役すずさんの声を演じることだった。
これが大反響となる。
のんさんの活動を渇望していた多数のファンが、一斉にこの情報に飛びついたのだった。主演・のんの情報は、爆発的な勢いで広がった。これもすぐさまニュースとなり、ニュースがニュースを呼んで急速に広まった。再び「現象化」が起きたのだ。
これが、第2の大きなうねりであった。

ついに公開。そして…

そこからは、公開まで一気に駆け抜けた。
完成披露試写やマスコミ試写など、数々の試写会を開催。作品に接した方々が、次々に絶賛のコメントをSNSに公開した。
「制作支援メンバーズ」のみなさまには、「応援メッセージカード」という名刺サイズのカードを100枚ずつ送付。積極的な作品応援をお願いした。そして……。
11月12日、ついに『この世界の片隅に』が全国63館の劇場で公開が始まった。
試写から続く片渕監督の舞台挨拶行脚が劇増する。初日は東京で、2日目には監督は広島、キャストは東京・神奈川で、と2エリアでの舞台挨拶が実施された。その後、舞台挨拶は毎週のように続いていくことになる。
私が公開後のブースターとして企画していたのは、11月20日に東京新宿LOFTプラスワンで実施した「ネタバレ爆発とことんトーク」イベントだった。ネタバレ満載でしゃべるから、その前に映画見といてね、という初期鑑賞促進のイベントだ。このイベントには片渕監督はもちろん、原作のこうの史代さん、真木太郎プロデューサー、キャストからは径子役の尾身美詞さんとサン役の新谷真弓さん。さらにアニメ評論家の氷川竜介さんと藤津亮太さんが参加。作り手、演じ手、見る側というそれぞれの立場から、作品の魅力を多角的に焙り出す試みだ。観客として会場に来ていた、りん役の岩井七世さんも途中から登壇し、非常に密度の濃いイベントになったと思う。作品完成後のイベントで、私が進行を務めたのはこれが最初だった。

劇場でご覧いただいたお客さんの熱いコメントもSNSにあふれ、その結果は興行成績にも顕著に表れた。
興行成績は、15週間・約4か月にわたってトップ10を維持し続けた。63館で始まった公開も、最大同時公開劇場数301まで拡大した(2017.2.18〜24)。 海外では、2017年2月23日にタイで公開されて以降、メキシコ、香港、インドネシア、イギリス、スペイン、シンガポール、マレーシア、台湾、アメリカ、フランス、イタリア……と広がっていった。
そして、数々の映画賞も受賞した。
「2016年 第90回キネマ旬報ベスト・テン」では、「日本映画ベスト・テン 第1位」「日本映画監督賞」「読者選出 日本映画ベスト・テン第1位」「読者選出 日本映画監督賞」の4冠を獲得。アニメーション作品が「日本映画ベスト・テン 第1位」に選出されたのは1988年の『となりのとトトロ』以来、28年ぶり2度目の快挙だった。
「第40回日本アカデミー賞」では、「最優秀アニメーション作品賞」を受賞。同年公開で圧倒的な興行収入を達成していた『君の名は。』が最有力といわれていたなかでの受賞だ。ほかにも国内外で数々の賞を受賞することになった。

続く『この世界の片隅に』との日々


©2019こうの史代・コアミックス / 「この世界の片隅に」製作委員会

長い公開期間の中で、劇場での舞台挨拶の司会を担当することが何度もあった。ファンの皆様にも顔を覚えていただき、声をかけていただくようになった。
2017年9月15日にリリースされたブルーレイ商品についても、特典映像の制作やブックレットの制作に携わらせていただいた。特典映像のひとつ・のんさんのインタビューは、のんさんファンに高く評価いただいたようだが、あのキラキラと輝く瞳の先には、聞き手である私がいるのであった。 さらには、2019年に公開されたアナザーバージョン『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』のさらにいくつもの宣伝業務につながっていくのだが、さすがに長くなりすぎる。この稿ではここまでとさせていただきたい。
(『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の宣伝については2019年発売の河出書房新社の『総特集 片渕須直』に原稿を書かせていただいた。ご興味の向きはそちらでお読みください)

2015年から2017年初頭までの約2年間を中心に振り返らせていただいた。この期間は、こうやって見ると本当にいろいろなものを見せていただいた。 いずれも、宣伝担当者として片渕須直監督のナナメうしろに立たなければ見られない光景ばかりだ。
自分自身の人生にとってかけがえのない時間だった。
改めてそう強く感じている。

この世界の片隅に

『この世界の片隅に』

Blu-rayDisc 発売中
5280円(税込)
発売・販売元:バンダイナムコフィルムワークス
©2019こうの史代・コアミックス / 「この世界の片隅に」製作委員会

 

この世界の(さらにいくつもの)片隅に

『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

Blu-rayDisc 発売中
5280円(税込)
発売・販売元:バンダイナムコフィルムワークス
©2019こうの史代・コアミックス / 「この世界の片隅に」製作委員会

次ページ▶ 片渕須直監督 主な参加作品

1 2 3 4 5 6

pagetop