Feature

時の旅人 監督・片渕須直の現在位置

Index

宣伝担当者の記憶①『マイマイ新子と千年の魔法』〜「人の想い」がつないだ15年

 

山本和宏(『マイマイ新子と千年の魔法』宣伝プロデューサー)

 

公開15周年


©髙樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会

『マイマイ新子と千年の魔法』は2024年11月21日に公開15周年を迎え記念上映が行われた。
多くのお客さまが会場の新宿ピカデリーに集まり、15周年を祝った。
公開から15年経っても、毎年のようにお客さまが祝ってくれる映画は、きっとそう多くはない。だが、この映画がそうあるのは、今ここにこの作品が再び上映される「魔法」のような奇跡を、お客さまと劇場と片渕監督とスタッフたちの「人の想い」が呼込んできたからだろう。
「想いの連鎖」。アニメ評論家の氷川竜介さんが『マイマイ新子と千年の魔法』DVDブックレットの序文で使った言葉だ。

「宣伝プロデューサー」として私はこの作品に携わった。
2009年の春から11月の公開に向けて宣伝を統括した。この、公開まで、という宣伝本来の活動についても記したいことは山ほどある。だが『マイマイ新子と千年の魔法』という作品をめぐるダイナミックな動きはその後に起こる。やはりこちらについて記しておきたいと思う。

蘇生への転換点

すでに各所で記されているので、重複は極力避けるが、2009年11月21日に全国37館で始まった本映画の全国公開は、決して好調と呼べるものではなかった。シネコンでは早々に上映回数が減らされ、夕方以降の上映回で大人が鑑賞することがどんどん困難になった。上映自体は予定通り4週間が満了された。その中で変化は起こった。ツィッターで氷川竜介さん、小黒祐一郎さんという識者たちがこの映画の鑑賞が意味あることだと勧め、それを目にした人々が次第に映画館の座席を埋めるようになっていった。新宿では4周目の最終日には、朝9時から1回だけの上映になっていたが、9割の席が埋まるようになっていた。片渕監督のフォロワー数も劇的に増大した。「新宿の上映は終わったが、都内でまだ上映されている劇場は○○」と監督がツィートすると、観客たちはその劇場に向かった。
ほかにも、マッドハウスの宣伝担当だった武井風太さんの提案で、この映画のスタッフたち自身が作ったコピー本を文学フリマで販売することを企画し、その会場での監督のトークが実現された。
全国各地でこの映画に接した大人たちの中に、深く心を揺り動かされた人たちもまた、確実に存在していた。
その存在が顕在化するきっかけを担ってくださったのがプロライターの廣田恵介さんだった。廣田さんの手で12月4日にネット上で「上映存続のための署名活動」が立ち上げられると、すぐさまアニメ評論家の氷川竜介さんがブログで拡散し、こうした動きがあることが知られるようになっていく。
監督は、プロデューサーのひとり松尾亮一郎さんとはかって、上映開始直後から配給会社に「大人が観ることが出来る夕方以降の上映」を提案していたが、事態は動かなかった。そこでレイトショーで上映してくれる劇場が求められ、阿佐ヶ谷の名画座劇場・ラピュタ阿佐ヶ谷が引き受けてくれた。8日間連続レイト上映を交渉し、決定。
12月9日の「GIGAZINE」では「有志による署名活動」が、12月11日の「アニメ!アニメ!」では「阿佐ヶ谷でのレイトショー」が報じられ、広く拡散された。

このラピュタ阿佐ヶ谷での上映は「大人のためのマイマイ・ナイト」と名付けられ、片渕監督以下スタッフは総力戦で臨んだ。浦谷千恵さんのイメージボード、辻繁人さんの修正原画の2枚を上下に組合せアート紙に出力した「アートカード」を入場者特典として準備。
また8日間毎日、誰かが舞台挨拶に登壇することに決めた。片渕監督は毎日壇上に立ち、そのほかエグゼクティブプロデューサーの丸田順吾さん、美術監督の上原伸一さん、青木初江(新子の祖母)役の世弥きくよさん、演出の香月邦夫さん、音楽のMinako“mooki”Obataさん、メインアニメーターの今村大樹さん、エイベックスのプロデューサー髙谷与志人さんと岩瀬智彦さん、松竹の黒田康太さんが日替わりで監督ともに壇上に立った。司会はエイベックスの岩瀬さん、松竹の飯塚寿雄さん、宣伝担当の村本陽介くん、島田彰くんと私が交代で務めた。上映、舞台挨拶終了後の劇場ロビーはパンフレットを購入し、片渕監督にサインを求める観客で連日遅くまで賑わった。その甲斐あって、8日間すべて満員札止めとなり、多くのお客様が入場できずにお帰りいただく事態となった。12月22日には高畑勲監督がふらりと来場されたが、満席。その時、たまたま、アニメーション作画のOHプロの社長でありアニメーション史の研究者であるなみきたかしさんが、OHプロのスタッフを連れてラピュタ阿佐ヶ谷に来ていたのだが、そのなみきさんが、高畑監督さんが観るべきである、と席を譲ってくれるという場面もあった。
小さな劇場ではあるが「満席続き」という状況を、まず「GIGAZINE」が「存続求め署名/補助席まで満席」と記事化。「シネマトゥデイ」も「なぜか阿佐ヶ谷で連日完売の大ブレーク」と報じ、この「事態」が急速に広がっていった。

ラピュタ阿佐ヶ谷の支配人・石井紫さんは「多くのお客様におかえりしていただいてしまったので」と、年明け2010年1月9日から3週間の「アンコールレイト上映」を英断。ほかの劇場から上映希望の動きが起こり始めた。12月28日には「GIGAZINE」が「連日満席を受けて1月からアンコール上映開始」と早速記事化し、1月6日には「アニメ!アニメ!」が「大阪でもレイトショー」を報じた。

広がる上映劇場

もはや「本拠地」となった東京のラピュタ阿佐ヶ谷でのアンコールレイト上映は、当初3週間の予定で1月9日から始まった。その期間中にもニュースサイトで本作にまつわる報道が次々となされた。1月10日「アニメ!アニメ!」記事「ラピュタ阿佐ヶ谷上映で複製原画など展示」、15日16日「日刊サイゾー」記事前後編「地味すぎるアニメ映画が起こした小さな奇跡」、21日「日経ビジネスオンライン」記事「オジサンが泣いていると評判」・・・。これら報道の反響もあり、また週末ごとの舞台挨拶実施もあり、金土日は基本満席、平日も満席の日が発生した。舞台挨拶は片渕須直監督に加え、主題歌を担当したコトリンゴさん、音楽の村井秀清さんが参加する日もあった。
そのまま続けて1月30日から2週間のエキストラ・アンコール上映。この最終日が片渕監督が渡仏中で不在だったため、さらに1週間の上映延長ラスト・アンコールを実施。これと並行して1月30日から大阪シネ・ヌーヴォでも上映が始まり、片渕監督とひづる先生役の脇田美代さんが舞台挨拶に登壇した。
上映劇場は広がっていく。横浜ニューテアトル、渋谷のシネマアンジェリカ、宝塚シネ・ピピア、佐賀のシアターシエマ、長崎セントラル劇場、北見シアターボイス、ミッドランドシネマ名古屋空港、札幌シアターキノ、吉祥寺のバウスシアター、浜松のシネマイーラ、新潟シネウィンド、新宿バルト9、シネプレックス新座・・・と全国の劇場で上映が行われていった。4月23日、吉祥寺バウスシアターの舞台挨拶には片渕監督とともに主役・青木新子役の福田麻由子さんが登壇。その場でDVDリリースの発表も行われた。「本拠地」ラピュタ阿佐ヶ谷でも5月30日におかえりなさい上映、7月17日から1週間「大人のためのマイマイナイト・ファイナル」を実施。片渕監督は全国を飛び回り、可能な限り舞台挨拶を行った。

さまざまな方向への拡がり

漫画家やクリエイターたちによるSNS上での応援の輪も広がっていく。4月19日、漫画家のさべあのまさんたちがネット上での作品応援活動を開始。ツイッター(現・X)にて「クリエイターズ♪マイマイ新子」という独自アカウントで、プロの漫画家クリエイターによる応援投稿も始まった。

上映は続く

こうして作品を愛するファンと劇場の力が呼応するようにして、『マイマイ新子と千年の魔法』の上映は長く紡がれていった。
7月23日、待望のDVDがリリースされ、誰もがいつでも作品を鑑賞できる環境が整った。だが、それでもまだ上映の勢いは止まらない。10月2日、作品の中心舞台である山口県防府の国衙公園に大スクリーンが張られ、屋外上映会が実施された。スクリーンの中の世界とスクリーンの外に広がる風景が一体となり、目の前にある空間すべてが作品となっていく多幸感に、全国各地から駆けつけた熱いファンたちが酔いしれた。
ラピュタ阿佐ヶ谷では、12月26日から30日の5日間、1周年記念特別レイトショーを実施。片渕監督は毎日舞台挨拶を行い、漫画家の青木俊直さんと美術監督の上原伸一さん、絵本作家のあいはらひろゆきさん、音楽のMinako “mooki” Obataさん、バー・カリフォルニアの女役・喜多村静枝(現・たちばなことね)さん、漫画家のとり・みきさんが日替わりで登壇した。
2011年9月26日には、防府の国衙公園での2回目の野外上映も実施。片渕監督の他に原作の髙樹のぶ子先生、音楽の村井清秀さんとMinako “mooki” Obataさんが登壇。終映後にはひづる先生役の脇田美代さんも登場し、作品舞台その場所での上映を盛り上げた。

『この世界の片隅に』の公開を契機に

『マイマイ新子と千年の魔法』が劇場に帰ってきたのは、2016年11月の『この世界の片隅に』の公開が契機となった。片渕監督の前作ということで、関連上映が各地で企画されたのだ。もともとフィルムで作られていた『マイマイ新子と千年の魔法』だったが、こうなることを予見して、この時期までにDCP版が作られデジタル上映が可能となる。2017年1月20日、片渕監督、音楽の村井秀清さんとMinako “mooki” Obataさん、青木初江役の世弥きくよさん、バー・カリフォルニアの女役の喜多村静枝さんが集結して登壇した新宿ピカデリーでの再アンコール上映が、初のDCPによる上映となった。そこから、名古屋、京都、尼崎、横浜、熊本、防府、京都、幕張、静岡、北海道、宝塚、大分、川越、利府、柏、新潟、浜松・・・と再び全国で断続的な上映が行われた。
この年11月21日、新宿ピカデリーで公開8周年の記念上映会が実施され、片渕監督と福田麻由子さんの舞台挨拶が行われ、翌2018年の公開9周年には片渕監督と音楽のMinako “mooki” Obataさんが、2019年の10周年記念には片渕監督と諾子役の森迫永依さんが、コロナ禍の2020年の11周年には片渕監督と岩瀬プロデューサーが、舞台挨拶に登場した。
この周年記念上映とは別に2019年1月には、ラピュタ阿佐ヶ谷の開館20周年記念での上映、同年10月には舞台地の劇場イオンシネマ防府で1週間の公開10周年記念上映も実施された。コロナ禍が明けた2023年。ネット署名で作品蘇生の一端を担ったプロライターの廣田恵介さんが急逝。廣田さんの功績を偲ぶ追悼上映がラピュタ阿佐ヶ谷で10月21日から1週間行われた。
新宿ピカデリーの周年記念上映も11月21日に復活した。
そして2024年11月21日、新宿ピカデリーで公開15周年記念上映。

舞台挨拶には片渕須直監督と主演の福田麻由子さんが登壇した。
制作当時中学生だった福田さんは、自分の進む道を凛と見つめる美しい目をした女性になっていた。
福田さんの地に足のついたしっかりとした大人の発言をする様子を、片渕監督は頼もしそうに見つめていた。「あしたの約束を返せ!」そう泣きながら叫んだ新子たちも、素敵な女性に育っただろうか。
トーク時間の修了が迫る。今年も片渕監督は、毎年の周年記念上映で観客たちと交わす「あしたの約束」の言葉を口にした。
「ではまた来年、“ピカデリーで会おう!”」。

「想いの連鎖」は、まだつながってゆくはずだ。

マイマイ新子と千年の魔法

『マイマイ新子と千年の魔法』

Blu-ray 発売中
7109円(税込)
発売・販売元:エイベックス・ピクチャーズ
©髙樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会

次ページ▶ 宣伝担当者の記憶②『この世界の片隅に』

1 2 3 4 5 6

pagetop