読み始めたら止まらない、映画本の世界へようこそ
いま、ひと月にMOOKを含めると20冊から多いときは50冊もの新刊が発売されているという映画本。映画好きには、まさにたまらない出版ラッシュである。だが一方で、映画は観るが、映画本はまったく読まない!という人も多いらしい。その理由は「どの本を読んだらいいかわからない」からだそうだ。たしかに映画本コーナーのある書店に行けば目移りするほどの映画本が並ぶ。あるいはネットでお気に入りの映画本を見つけるとなるとそれはそれで難しい。ひとくちに映画本と言っても、その幅はいま驚くほど広いのだ。
まずは恐れずに映画のタイトルで検索してみよう。「シナリオ本」や「写真集」「メイキングブック」が出ているかもしれない。監督に興味を持ったなら、その監督の作品を集めた「MOOK」や「評論集」があるかもしれない。もちろん俳優のインタビュー本やエッセイも多数ある。特定ジャンルの映画が好きなら「ホラーブック」「青春映画バイブル」的な本もある。80年代の映画、90年代の映画なんて「年代」で括った本もあれば、最近は「撮影技法」や「映画音楽」「衣装デザイン」「ロケ地に関する」本だってあるし「映画宣伝」や「映画館について」なんて本も。とにかく映画本は花ざかりだ。いま、これらを読まないというテはない。読まないと損をする。そんな思いで、今回の特集は「映画本!」である。
Index
映画本の森への招待状
轟夕起夫(映画評論家)
今でも本屋に行けば自然と、映画コーナーを探してしまう。あれば嬉しい。どんなに小さくても。そうやって不意に出会い、大切にし続けている書籍が何冊もある。
筆者はといえば、1年に1回、老舗の雑誌・キネマ旬報が主催する「映画本大賞」に2018年から参加している。選者は批評家、映画評論家、記者、書店員、編集者といったメンバーで構成され、ベスト・テンの対象となるのは前年度に出版された映画に関する書籍。皆さんのセレクトの一助になっていれば本望なのだが。
次にたいそう刺激を受けたのは高校1年の頃だった。スティーブン・スピルバーグ監督の初期作に『続・激突!/カージャック』(74)がある。初めての劇場用映画で、原題は『The Sugarland Express』。たまたまテレビ放映で観て、単に「面白れえ」で済ませていたところ、ある映画エッセイのアンソロジーでみずみずしい言葉と遭遇した。芥川賞作家・中上健次の論考で、まだ“批評”という用語を意識していなかったが、目の前の薄靄が晴れていく感覚を味わった。
書き出しはこうだ。「一人の若い女がまず出てくる。バスを降りる。犯罪者の更生所に行く。そこで、あと四ヶ月もすれば、晴れて自由の身になる夫に面会する」。さすが文体がいい。簡潔かつ的確に作品のリズムを掴んでいる。そして物語に寄り添いながら、懐に踏み込んでいくその“手つき”にもシビれた。すなわち、福祉局によって里子へと出された息子を奪還すべく、未熟な若夫婦がカージャックしたパトカー、この一台の車自体を「家、あるいは家庭」と見立てて、こう続けるのだ。「これは若い夫が、関係の中で〈父〉になる映画だとぼくはみた。〈父〉になろうとするのではなく、いやおうなしに〈父〉にむかって決意していかざるをえない破目になる。男とはなんとさみしいのだろう。なんと心もとないのだろう」。
現在ではスピルバーグの映画を語る際、「父と子」をめぐる主題を出すのはもはやオーソドックスなことだが、当論考は早くに核心を突いていた。中上はさらに論述を進め、「母と子」の関係にも着目、一方、おせっかいな大衆の描写を一瞥し、エンディング後の息子の将来にも思いを馳せ、警察、権力の側にも言及しながらやや飛躍した独自の結論に達する。これはこれで、いい。
書き出しはこうだ。「一人の若い女がまず出てくる。バスを降りる。犯罪者の更生所に行く。そこで、あと四ヶ月もすれば、晴れて自由の身になる夫に面会する」。さすが文体がいい。簡潔かつ的確に作品のリズムを掴んでいる。そして物語に寄り添いながら、懐に踏み込んでいくその“手つき”にもシビれた。すなわち、福祉局によって里子へと出された息子を奪還すべく、未熟な若夫婦がカージャックしたパトカー、この一台の車自体を「家、あるいは家庭」と見立てて、こう続けるのだ。「これは若い夫が、関係の中で〈父〉になる映画だとぼくはみた。〈父〉になろうとするのではなく、いやおうなしに〈父〉にむかって決意していかざるをえない破目になる。男とはなんとさみしいのだろう。なんと心もとないのだろう」。
現在ではスピルバーグの映画を語る際、「父と子」をめぐる主題を出すのはもはやオーソドックスなことだが、当論考は早くに核心を突いていた。中上はさらに論述を進め、「母と子」の関係にも着目、一方、おせっかいな大衆の描写を一瞥し、エンディング後の息子の将来にも思いを馳せ、警察、権力の側にも言及しながらやや飛躍した独自の結論に達する。これはこれで、いい。
で、まず、監督自ら人物設定や物語のアイディアを記したノート6冊をフルカラーで公開した『黒澤明「七人の侍」創作ノート』(2010, 文藝春秋)を開いてみよう。野上照代の的確な注釈と、証言者としては申し分なし、黒澤の最強コンビにして世界的な脚本家・橋本忍も登場、野上と対談をしている。その野上照代の本であれば『完本天気待ち 監督・黒澤明とともに』(2016, 草思社文庫)が必須で、橋本忍は『複眼の映像 私と黒澤明』(2010, 文春文庫)。対談本では黒澤明×宮崎駿の『何が映画か 「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』(1993, 徳間書店)もある。
現場の別視点が欲しければ、助監督に就いていた堀川弘通の『評伝 黒澤明』(2000, 毎日新聞社→ちくま文庫)を。丹野達弥編『村木与四郎の映画美術「聞き書き」黒澤映画のデザイン』(1998, フィルムアート社)は当時美術助手だった村木の話。のちの巨匠だ。音楽関連だと西村雄一郎の『黒澤明と早坂文雄 風のように侍は』(2005, 筑摩書房)は外せない。評論は目移りするほど数多あるが、賛否分かれるのは必定、細部の瑕瑾を超えてあえて“劇薬”として四方田犬彦の『「七人の侍」と現代 黒澤明再考』(2010, 岩波新書)の問題提起で視野を広げたい。また、東宝映画研究家・高田雅彦が知力を発揮した『「七人の侍」ロケ地の謎を探る』(2020, アルファベータブックス)も。こういう変わった切り口の企画は楽しい。