「いまふたたび、森田芳光を感じる意味」
〜映画監督 森田芳光を知らない人にこそ、観てほしい〜
展示の見どころ 2
<その4 シナリオと引き出し>

――ジャズのレコードを背にして振り向くと、壁に美術セットの図面や全作のシナリオがずらりと並べられ、引き出しのなかには撮影で使用されたシナリオと監督の書かれたノートの山が収納されています。引き出しスタイルにして飾られた狙いは?
三沢 すべてを壁に展示していたら絶対的にスペースが足りず、とてもじゃないけど見せきれない、それだけたくさんのものを展示したかったというのがあります。もうひとつの狙いは、先ほども申しましたが、ずっとそこに留まってもらえるような居心地のよい展示空間にすること。ひとつづつ引き出しを開けると、森田の手書きシナリオやアイデアノートが次々に出てくるほうが宝探しのようで楽しくないですか? ただ、森田本人は昔から思いつくと同時にババッと書いちゃうので、本人ですら読めなくなっちゃうような字なんです。書いた本人が助監督に「これ、なんて書いてあるのかな?」って聞いていたぐらい(笑)。だから助監督たちに集まってもらい、これならわかりやすいとか、ここが監督らしいというものを選び抜いてもらいました。
引き出しそれぞれに、監督の手書きの資料が隠され、探すのが楽しくなる。


――それぞれのシナリオの扉部分に、監督ならではのテーマ作りや、今回はこういうものを描くんだ、感じさせるんだ、と書き殴ったようなメモ書きがあります。あれが特に興味を引きました。
三沢 あんな細かなものまで見せてしまって、本人は向こうで怒っているかもしれないけれど(笑)。

『椿三十郎』(2007年)の扉に大きくマジックで書かれていたのは「絶対に超える」の言葉。黒澤明のオリジナルは、森田が映画監督を志すきっかけの1本に挙げていた作品。そのリメイクに挑むにあたっての決意表明とも取れるこのひと言に、感動せざるをえない。

三沢 公開当時、あんな名作をリメイクするなんてけしからん! とか、いろいろいわれた作品なので、これは私、本当に展示しちゃっていいか迷ったんですが、でも助監督が選んだものは全部そのまま出しました。そうなんです。本当に森田が一番好きといっていいぐらいの映画なんですよ。一番好きで尊敬してる映画をリメイクさせていただく。心構えとしてね、そのぐらいの覚悟だったんでしょう。WBCの時に大谷翔平さんが「今日は憧れを捨てましょう」っていっていましたけれど、あれに近いような気持ちで取り組んでいたと思います。
――森田監督は、ほとんどの作品で自らシナリオを書いてきましたが、それほど思い入れの強い『椿三十郎』では、あえて黒澤明、菊島隆三のオリジナルのシナリオのまま撮っていますね。にもかかわらず、改めて見直すとそっくりなようでいて、いろいろと森田色が感じられます。
『椿三十郎』で森田組に初参戦した俳優・鈴木亮平。このサイン本をめぐる逸話は、ぜひ展示会場で確認してほしい。三沢 実は、一番大きな変化は俳優の顔なんです。オリジナルの『椿三十郎』(1962年)を撮った時の三船敏郎さんは39歳。でも織田(裕二)くんもあの時39歳なの。そのぐらい、時代によって同じ39歳の見え方が、若返ってしまっているんですよ。だから、三十郎の在り方も、絶対的なヒーローではなくて、より兄貴的なものにするんだといって取り組んでいました。そこが一番、森田らしいところだと思っています。
――森田作品といえば、実験的、斬新というイメージが初期作品には色濃くあったと思います。でも実は、それが過去の監督たちの手法から学んでいたことがわかるのがアイデアノートですね。鈴木清順、黒澤明、五社英雄、スコセッシなど、いろんな監督の名前が書かれていて、こういうショットがあった、それを自分なりにどうするかみたいなメモもある。ある種、秘密手帳のような。
読み応えのあるアイデアノート。三沢 森田が飯田橋のギンレイホールという映画館で働いていたころ、夜帰ってくると、毎日のようにあれを書いていました。とにかく映画を撮りたいという感情が沸々と湧き出していたんでしょう。書き留めても監督になれる保証はひとつもないのに。いま見ると結構いいことも書いてある。森田は生前、そういう陰の努力を見せないところがあったのですが、今回はそれを見せちゃったほうがいいんじゃないかと思いました。
引き出しコーナーの最後に、控え目にだが藤子・F・不二雄との作品『未来の想い出 Last Christmas』についての展示コーナーがあった。森田監督作のなかではフォーカスされることの少ない作品だが、漫画好きの森田監督を知るスタッフならではのチョイスだと気になった。
――藤子・F・不二雄先生とのコーナーがありますが『未来の想い出 Last Christmas』で、藤子・F・不二雄先生は原作のみならず、企画・原作というクレジットになっています。これはどういう経緯だったのですか?

三沢 森田は割と漫画家の先生と交流があって、藤子・F・不二雄先生とはあるきっかけで一緒に映画を作りたいと意気投合したわけです。当時新宿中央公園の近くにあった先生の事務所に通い詰め、ゼロから先生と森田で相談してプロットができあがり、それを元に先生が原作をお書きになった。だから原作だけでなく企画にも先生のお名前があるんです。
――原作漫画の主人公は中年の男性漫画家ですね。それが、映画ではふたりの女性になったのは?
三沢 主人公がやり直す人生の選択肢の幅を広げたかったので、若い女性、それもふたりにしたんです。あの時の森田は、悩みに悩んで先生に怒られるのを覚悟して、お願いしに行きました。
――展示されていた公開から数年後の先生からの手紙も実に感動的でした。
三沢 藤子・F・不二雄先生のお人柄がよく出ているので、展示させていただきました。あの手紙で先生がいいたいことはね、自分はあの映画が好きですって、たったひとことなんです。それを筆不精で3年以上かかってしまった、ごめんなさいっていう手紙。おわびの最後に、直筆でオバQとドラえもんがこう謝ってるって、なんて可愛い手紙なんでしょうね。先生も本当にあのままのお人柄でした。『未来の想い出 Last Christmas』でもご出演いただいてますが、本当になんとも優しい占い師という感じですし、清水美沙さん演じる納戸遊子の出版記念パーティーのシーンで、トキワ荘にいらした大先生たちが出演いただいた時には、F先生がものすごくうれしそうだったのを、いまでも思い出してしまいます。
次ページ▶ 展示の見どころ 3
