「いまふたたび、森田芳光を感じる意味」
〜映画監督 森田芳光を知らない人にこそ、観てほしい〜
没後14年を経ての展覧会&上映会の開催
三沢和子インタビュー(その2)
――いわゆる10周年とか20周年ではなく、このタイミングで展覧会を行った背景には、どのような思いがあったのでしょう?

三沢 森田が多くの作品を発表していた1980年代〜2000年代は日本映画界が海外の映画祭に作品を出そうという風潮があまりなかった時代だったので、そのまま突っ走ってしまったわけですが、亡くなったあと、残した作品がどう受け入れられるのか、やはり海外で見ていただきたいなということで地道に活動してきました。おかげさまで、ここ3年ほどでニューヨーク、パリ、トゥールーズ、上海、香港、シンガポール、台北、高雄、ソウルと、各映画祭でレトロスペクティヴが開催され、大きな劇場を開けていただいて大成功を収めました。それ以上にうれしかったのは、これまでの日本国内での批評とはまた違う視点での評価が見られました。そこで、それをまた日本にフィードバックする、反映させる時期が来たと感じたんです。日本でも東京の新文芸坐さんをはじめ、全国で特集上映をやっていただきましたが、今回の国立映画アーカイブでは、展示内でそうした海外の反響を紹介しながら、上映のためにニュープリントも焼いていただけたので、さらなる展開につなげていきたい。その一方、亡くなって14年も経つと、森田のことをまったく知らない若い方も多いと思います。そういった方や、森田のことを当時から応援してくださっている方にも、作品だけじゃなく、創作の背景や、当時の森田がどういう考えに至って作品を撮ったかというところまで知っていただきたかったという気持ちもあります。
――今回の展示は、映画関連のものだけでなく、森田監督が愛した音楽や本、漫画など様々なものが並び、ひとりの映画監督の回顧展示として画期的なおもしろさがあります。なぜこのような展示を目ざしたのですか? また、どういう過程を経て、それが可能になったかを教えていただけますか。
さまざまなアイデアが凝らされた、国立映画アーカイブの展示会場三沢 まずひとつは、台湾で森田の特集上映をやったときに、台北でエドワード・ヤン監督の展示を見たことがあって、それはものすごく大規模でおしゃれなものでした。その後、国立映画アーカイブでも、アンジェイ・ワイダ監督の展覧会も拝見し、どちらも監督その人の人生を反映したようなもので、うらやましく思いました。私たちの場合は、お金をかけた展示はできない。その代わり、森田芳光本人の頭のなかや、どんな生活をしていたか、彼の心のなかをのぞけるような展示ができればいいんじゃないか、その方向性で知恵を出し合おうと話し合ったんです。それで、美術デザイナーの山﨑秀満さんやスタッフみんなに相談して、じゃあまず「森田芳光を作ったもの」ということで、書斎とか、いろんな森田を囲んでいた環境、どんなものを勉強したか、どんなものを見てきたか、というコーナーを作り、次に「森田芳光が作ったもの」ということで、発想を書き込んだシナリオやノートなど、映画のために作ったものを見せるコーナーにし、最後に海外での反響をフィードバックできればと思ったわけです。
――美術・山﨑さん、装飾・湯澤幸夫さん含め、多くの森田組スタッフが展示にかかわったそうですね。

三沢 展示のアイデアを求めているうちに、みんなが思いがけない方法を考えてくれたり、展示会場の美術プランを起こしてくれたりと、みるみるうちに発展しました。たとえば、森田の好きだった本とかレコードとか、そういうものを飾るにしても、ただ飾ってもしょうがない。どうしたら森田の映画らしく、奇抜にカッコよく飾れるか? そこも考えたいと参加したみんなが思い始めたのです。また私としては、せっかく展覧会をやるなら、とにかく居心地のいい空間を作りたかった。いらした方々がひととおり眺めて帰っていくんじゃなくて、せっかくここに来たからには、持ってきた本や監督のメモをじっくりと見てほしい。ですから通常の展覧会と違い「展示会場に長時間いたい」と思っていただける空間をいかに作れるかということを考えました。
次ページ▶ 展示の見どころ 1
