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没後15年、いま見返されるべき映画監督、今 敏の世界

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今 敏との出会いがなければ、アニメーターとしての自分はなかった
アニメーター 井上俊之インタビュー

最初から抜群に絵のうまい人だった

――まず今さんの作品との出会いについて教えてください。

井上俊之(以下、井上)  本人に出会う何年か前、アニメの『AKIRA』(1988)を作っているころから、今さんの描いた短編漫画が掲載された雑誌の切り抜きを持っていました。あのころはインターネットもなかったので、若手のイラストレーターや漫画家でメジャーになる以前の人で面白い人はいないかとアンテナを張っていて、そこで引っかかったひとりが今さんでした。アニメーター仲間だった沖浦(啓之)とも、今さんのことを話題にしたことを覚えています。おそらく彼が大友(克洋)さんのところで漫画のアシスタントをしていたころでしょうが、そのときは今 敏という漫画家が、大友さんとゆかりのある人だということは、まったく知りませんでした。

――当時から絵はうまかったのでしょうか。

井上  当時いろんな人の漫画の切り抜きを集めていましたけど、読み切りが数回乗っただけで終わってしまう若手漫画家が多いなか、今さんは後にメジャーな雑誌で連載を持つまでになりますし、画力という点でも飛び抜けていましたね。

――今さんと出会ったのはいつでしょうか。

井上  『AKIRA』の数年後、『老人Z』(1991)の現場で初めて本人と会いました。『老人Z』の監督の北久保弘之とは旧知の仲で、北久保から「美術設定を今 敏という漫画家に頼もうと思う」という話は聞いていて。そのころには大友さんのアシスタントをやっていた人だということも知っていました。

――『老人Z』では一緒のスタジオで仕事をされていたのでしょうか。

井上  僕は『老人Z』には途中参加で、スタジオに出社したころには今さんは急性肝炎で入院していて。彼が退院して出社してきた時、スタジオのドアを開けて入ってくるなり「さあ仕事をくれ!」っていったんです。なんて元気で威勢のいい人なんだろうって思ったのが鮮烈な記憶として残っています。

――『老人Z』で今さんは、美術設定以外の仕事もされていたんでしょうか。

井上  僕がスタジオに入ったころには、美術設定の仕事は終わっていて、レイアウトという背景美術の元になる絵とキャラクターの演技の段取りを描く仕事をしていました。美術設定を描いた人ですから、当然背景画もうまかった。当時のアニメーターは、キャラクターの段取りを作るのが主で、背景はいい加減なものでした。背景については、美術の担当が整理し直して下描きを新たに作り直していたのですが、『AKIRA』のころから、レイアウトの段階で適当ではなく、キャラクターの背景がどうなっているのかをしっかり描こうとなってきた。きちんとしたアニメーションの画面を成立させようと思ったら、レイアウトでしっかり決め込んでおく必要があることに、改めて皆が気づきはじめたんです。もちろん先例として、宮﨑駿さんが『母をたずねて三千里』(1976)や『アルプスの少女ハイジ』(1974)でレイアウトをやられていたのは知っていましたが、それと同じことができる人が業界内にほとんどいなかった。アニメーターは、キャラクターの演技には興味あるけど、その背景に関してはほとんど興味も知識もなかった。そのため『母をたずねて三千里』のようなすばらしい例があるにもかかわらず、現場では相変わらずアニメーターが適当に描いた背景に基づいて、美術が別個に背景を描いて合わせていた。当時は、制作スケジュールもいまよりずっと厳しかったので、本当に納得いかないまま撮影して放映することが常態化していたのですが、1980年代半ばに僕らの世代がアニメーション業界に入ったころから、さすがに同じやり方ではまずいとなったところに、今 敏という描き手が現れたわけです。

――今さんは最初からアニメーションのレイアウトも描けたのでしょうか。

井上  抜群にうまくて、次元が違う感じでした。格が違う感じのレイアウトを描ける人間でしたね。

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