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ウルトラを作った女性たち 桜井浩子 × 田中敦子 対談

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60年前、如何にして人気番組となったか

怪獣映画『ゴジラ』(1954)を手がけた円谷英二が特技監督をつとめた作品は、国内外で大ヒットを記録した。だが、日本の映画の観客動員数は、1958年の約11億人をピークに、減少を始める。その背景には、同時期から普及した家庭用テレビの影響があった。

 

ところが、まだ本格的なドラマ制作のノウハウを持っていなかった日本のテレビ放送界は、西部劇やサスペンス、SFなどのドラマを、輸入に頼っていた。しかし、“テレビは映画より格下”と思われていた1963年当時、円谷英二は来たるべき放送事情の変化を察知していた。「円谷特技プロダクション(現・円谷プロダクション)」 を始動させ、TBSでテレビ第1作目となる特撮TVドラマの制作に乗り出す。
本格的な特撮TVドラマの制作体制や方法論は、未知の領域だったが、円谷プロは英二が育てた東宝の特撮スタッフ、TBSから出向してきた演出陣を招集し、新たなドラマ構築に乗り出した。

 

第1作となる『ウルトラQ』撮影は1964年にスタート。当初は、アメリカの『ミステリーゾーン』的なSFサスペンスを研究して立案された企画だったが、TBSの意向で「怪獣路線」へと路線転換。ユニークなデザインの怪獣が大暴れする「空想特撮シリーズ」は、空前のブームを巻き起こし社会現象となった。
ターゲットだった子どもにとって、”怪獣映画が毎週タダで放映される”のは、まさに大事件。最大のヒット商品となった怪獣ソフビ人形は、月産100万個の生産数を記録した。
『ウルトラQ』の放送は約半年で終了し、人気を引きつぐようにスタートしたのがカラー番組『ウルトラマン』。1966年に『ウルトラQ』の放送が決まった時期から企画が動き出し、TBSと円谷プロの企画文芸室長であった脚本家・金城哲夫主導でアイデアが練られている。怪獣と戦うヒーローや、スーパーメカを使う科学特捜隊が新要素として加えられ、わかりやすいストーリーとテンポよい展開が強調されて、後のシリーズのいしずえとなった。
1966年7月17日に、満を持してスタートした『ウルトラマン』の第1話視聴率は34.4パーセント。翌年に最終回を迎えるまで怪獣ブームは過熱し、最高視聴率は42.8パーセントを記録した。

 

だが、ここで撮影体制にかげりが見えはじめる。TVで本格的な特撮ドラマを安定して制作する上で必要な、省略化や効率化のノウハウが確立できておらず、各人の強いこだわりと意思でオーバークオリティの作品を生み出し続けていた撮影体制は、ついに限界を迎え、断腸の思いで番組終了を決断する。
その後、半年間の準備期間を経て、円谷プロは新番組『ウルトラセブン』を世に送り出す。前2作で急成長した若いスタッフによる船出であった。
空想特撮シリーズは、制作体制を時代と共にアップデートさせながら、盤石な基礎をきずき、その後も数々の巨大ヒーロー特撮ドラマを生み出したのである。

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Writer

幕田けいた

幕田けいた (まくたけいた)

宮城県出身。SFホラーや特撮系映画が得意ジャンルのフリーライター。ジャンク・カルチャー研究家。ネッシー好き、妖怪好き、恐竜も好き。日本ジュール・ヴェルヌ研究会会員。
著書に『ウルトラマンをつくったひとたち』(共著/偕成社)、『ジュール・ヴェルヌが描いた横浜: 「八十日間世界一周」の世界』(共著/慶應義塾大学教養研究センター)

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