ウルトラを作った女性たち 桜井浩子 × 田中敦子 対談
60周年をむかえる特撮ドラマ『ウルトラQ』『ウルトラマン』。いまや全世界で絶大な人気を集める空想特撮シリーズの出発を支えたのは、円谷プロダクションに集結した若き精鋭たちだった。そのエネルギッシュな現場に参加した女優・桜井浩子氏と当時スクリプターを務めた田中敦子氏が、あの日々を振り返る。作品を作ることに全力をかたむけた撮影現場。ウルトラの現場に参加した女性たちは、なにを感じていたのだろうか。
『ウルトラマン』フジ・アキコ隊員役
女優・桜井浩子 × 『ウルトラQ』『ウルトラマン』スタッフ
スクリプター・田中敦子 対談
なにも整っておらず、なにもできあがっていない会社
――おふたりは『ウルトラQ』(註1)『ウルトラマン』(註2)という空想特撮シリーズに、数少ない女性スタッフとして参加されました。その経緯をお聞きかせください。

桜井浩子(以下、桜井) 私が『ウルトラQ』の現場に入ったのは、東宝株式会社(東宝)撮影所(註3)の専属女優になって3年目ぐらい。
それまでは雑誌のモデルをやっていたんです。『ひとみちゃん』(註4)という少女小説がありまして、それは主人公をモデルで撮る写真小説という企画の作品でした。小学3年生ぐらいの時に、そのオーディションに受かってデビューしました。
あるとき、「ジャクリーヌ・ササール(註5)さんに似た人募集」というコンテストがあって、私は第3位ぐらいだったんですけれど、東宝の方に「うちに入りなさい」っていっていただいんです。
――そこで女優への第1歩をふみだしたのですね。
桜井 まず山本嘉次郎先生(註6)が束ねておられる俳優養成所に入りまして、半年ぐらい、「調教」していただきまして(笑)。それからオール東宝ニュータレント1期生として入社しました。そして東宝から「円谷プロに行ってらっしゃい」っていわれて『ウルトラQ』の現場に入ったんです。
――田中さんはいかがでしたか。

田中敦子(以下、田中) 私は、女子美術大学に在籍していましたが、日本大学芸術学部の映画学科の友人が圧倒的に多かったんです。だから卒業するころに、友人が映画会社の助監督の試験を受けるとか、映像制作に関わるような仕事につくといいだしまして、私も映画の世界で仕事ができないだろうかと思ったんです。
そのころ、女性が映画の現場で仕事ができる代表的な職がスクリプター(註7)だったんです。ちょうど民放各局がドラマ番組をいっぱい作る時代になっていたので、各プロダクションがスクリプターを養成した時期でした。あるとき、学校に東宝から連絡がきまして、円谷英二さん(註8)が優秀な女子学生に特撮の編集などを教えると……。優秀かどうかはわかりませんが、そのとき私しか女学生がいなかったそうです(笑)。円谷さんからは、いろいろなことを学ばせていただいて、卒業後は日活に就職したのですが、そのうち別のプロダクションに移って見習いでついたのが、円谷作品でも一緒に仕事をする宍倉徳子さん(註9)です。
そこから、またフリーになって仕事を始めたタイミングで、円谷プロの制作部長さんから連絡をいただきました。「プロダクションを立ち上げていて、スクリプターを募っています、体空いてますか?」というので、私としてはよいチャンスだと思って参加しました。最初、円谷プロでは、特撮の現場にスクリプターがいなかったんです。でも、結局、必要になって呼ばれたというわけですね。私は「東京氷河期」(『ウルトラQ』第14話)(註10)から現場に入りました。
――当時の撮影現場は、男性スタッフばかりだと思うのですが、雰囲気はいかがでしたか?

桜井 私は東宝の撮影現場の経験が先だったので、女優さんは多かったし、優しくしてもらったので、撮影現場が男性ばかりという感じはありませんでした。それが円谷プロにきたら、女優の私、あっちゃん(田中氏の愛称)、メイク担当の山根末美さんの3人くらいしかいない。あとは全部、威勢のいいお兄ちゃん。寄せ集め的なスタッフで、プロもいるし、大学出たての佐川和夫さん(註11)や中野稔さん(註12)がいる。東宝とは全然感じが違いましたが、違和感はなかったです。
田中 そういうもんだろうと思っていたので、違和感はなかったですね。別に女性だから、やりづらいということもなかったです。
桜井 東宝と違って小規模な組織だから、撮影現場は家庭的で、すぐみんな仲よくなりましたね。
田中 スクリプターの仕事は、特別にどうこうということはなかったんです。ただ、一番最初に私が付いた監督さんは、東宝から来た梶田興治さん(註13)だったんですが、よくよく考えるとカメラマンや美術も東宝の方でした。
桜井 私の場合は大先輩の佐原健二(万城目淳役)さん(註14)と西條康彦(戸川一平役)さん(註15)がおられたので、彼らは東宝で研鑽を積んでいて、特撮もよくご存知。ですから私は、ついていけばいいと思っていたんです。
あのチームはすごい人たちがいたんですよ。その時は気がつかなかったんですけど、あとあと考えると、一流の人と仕事をさせてもらったんだって思いますね。
当時は、映画と比べるとテレビの画面はちっちゃいから、ちょっと下に見るところはあったと思いますね。私自身も、誤解を恐れずにいいますと、大きなスクリーンの女優さんになるために東宝に入ったのに、なんでちっちゃい画面の女優さんになるの⁉ みたいなところがありました。でも実際に参加してみると、円谷プロはなんにもできあがってない会社で、現場もまだなにも整っていない。すべて自分で切り開かなくてはいけない、めちゃくちゃエネルギッシュでおもしろい現場だったんです。現場では手探りで、みんなで一緒になって作品を作った感じがします。東宝は、すでに人事的なピラミッドができあがっていて、一番上にプロデューサーがいて、監督は先生って呼ぶようなところがありました。それが円谷プロでは、中川晴之介監督(註16)に「先生なんて呼ばないでくれよ」っていわれて、最後は「ハルさん」になっちゃったけど、なんかすごくなじむなあと思いましたね。
田中 フレンドリーでしたね。
桜井 人の間に差がない。柱になっている人の性格というか、人間性が非常におだやかだったんじゃないでしょうか。なにより円谷プロでは、みんな作品を作ることに精一杯でした。特撮班の人は英二監督の方向を向いていて、ドラマ班は円谷一さん(註17)のほうを向いていました。
現場の平均年齢も低かったですね。英二監督が一番年長で、次に東宝からいらっしゃった梶田さんや野長瀬三摩地さん(註18)。お三方以外で、一番年上だったのが成田亨さん(註19)で38歳ぐらい。あとは、ほとんどの方が35歳以下。
田中 一さんが34〜5歳、金城哲夫さん(註20)は27歳ぐらいです。監督やカメラマン以外、全員35歳以下で、20代後半が柱になっている、とんでもなく若いプロダクションでした。
註釈
- 註1 『ウルトラQ』
1966年(昭和41年)1月2日放映開始。全28回。空想特撮シリーズの第1作。 - 註2 『ウルトラマン』
1966年(昭和41年)7月17日放映開始。全49回。空想特撮シリーズの第2作。円谷プロ初のカラーTVドラマ。 - 註3 東宝株式会社東宝撮影所
現・TOHOスタジオ。世田谷区成城・砧に所在する東宝の映画・テレビドラマ制作のスタジオ。
https://k-plus.biz - 註4 『ひとみちゃん』
三谷晴美(後の瀬戸内寂聴)作の少女向け雑誌『なかよし』(講談社)連載の小説。1956年1月号から写真小説となり、そのモデルに選ばれたのが桜井浩子だった。 - 註5 ジャクリーヌ・ササール(1940〜2021)
フランスの女優。『芽ばえ』(1957)で本格的に映画デビュー、アイドルスターとして活躍したが、1968年に引退。 - 註6 山本嘉次郎(1902〜1974)
映画監督、俳優。映画『真夏の夜の夢』(1920)で俳優デビュー。『熱火の十字球』(1924)で監督デビュー。円谷英二が特技監督を務めた『ハワイ・マレー沖海戦』(1942)などを大ヒットさせた。 - 註7 スクリプター
映画やTVドラマの撮影現場で、シーンの状況や内容を記録、管理する職種。記録とも呼ばれる。照明やカメラアングル、音、時間、大道具・小道具の配置、俳優の衣装、髪形、セリフなどを記録し、撮影が中断しても再開時に再現できるようにする。ポストプロダクションでは、編集作業に立ちあう。 - 註8 円谷英二(1901〜1970)
特撮監督、映画監督。1919年にカメラマンとして映画界入り。1954年映画『ゴジラ』(東宝)を公開。1963年、株式会社円谷特技プロダクションを設立。2025年、アメリカ視覚効果協会は、日本人として初めて「Hall of Fame(殿堂入り)」に選出した。 - 註9 宍倉徳子(1937〜)
スクリプター、脚本家、プロデューサー。初期円谷プロ作品にスクリプターとして参加。プロデューサー転身後は『スターウルフ』(1978)、『ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説』(1990)などを手掛けた。 - 註10 「東京氷河期」(『ウルトラQ』第14話)
1966年4月3日放送。羽田空港一帯が謎の黒煙につつまれ、またたく間に氷漬けになってしまう。同じころ、由利子は街角で、ひとりで父親をさがす治夫少年と知り合う。脚本:山田正弘、監督:野長瀬三摩地。 - 註11 佐川和夫(1939〜)
特撮監督。東宝特殊技術課から1963年に円谷特技プロダクションに入社。『ウルトラQ』(1966)では特撮撮影助手、『マイティジャック』(1968)で特技監督デビュー。 - 註12 中野稔(1939〜2021)
光学合成技師。円谷プロダクションを経て、1972年に「デン・フィルム・エフェクト」を設立。2016年、文化庁映画賞受賞。 - 註13 梶田興治(1923〜2013)
ディレクター、プロデューサー。東宝時代は、本多猪四郎のチーフ助監督を長くつとめ、『ゴジラ』(1954)にも参加した。『ウルトラQ』第4話「マンモスフラワー」」などを演出。 - 註14 佐原健二(万城目淳役)(1932〜)
俳優。1953年、第6期東宝ニューフェイスとして「東宝演技研究所」に入所。本多猪四郎監督作品『さらばラバウル』(1954)で映画デビュー、同年『ゴジラ』にも出演。 - 註15 西條康彦(戸川一平役)(1939〜)
俳優。高校在学中に東宝と専属契約し、1957年に映画『初恋物語』でデビュー。数々の東宝映画に出演した名バイプレイヤー。 - 註16 中川晴之介(1931〜2018)
映画監督、ディレクター。TBSテレビ時代の『東芝日曜劇場 すりかえ』(1961)は、第16回芸術祭奨励賞を受賞。『ウルトラQ』第6話「育てよ! カメ」などを演出。 - 註17 円谷一(1931〜1973)
ディレクター、プロデューサー。円谷プロダクション2代目社長。TBSテレビ時代の『東芝日曜劇場 煙の王様』(1962)は、芸術祭文部大臣賞を受賞。『ウルトラQ』第1話「ゴメスを倒せ!」などを演出。 - 註18 野長瀬三摩地(1923〜1996)
ディレクター、映画監督、脚本家。東宝時代は、黒澤明監督作品でチーフ助監督を務めた。『ウルトラQ』第5話「ペギラが来た!」などを演出。 - 註19 成田亨(1929〜2002)
映像美術監督、デザイナー、彫刻家、画家。円谷プロ作品では『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』で、ヒーローや宇宙人、怪獣、メカニックやセットなどのデザインを手掛けた。 - 註20 金城哲夫(1938〜1976)
脚本家。学生時代から円谷特技研究所に出入りし、東宝特撮映画で人気だった脚本家・関沢新一の指導を受けた。新設された円谷プロでは、企画文芸室長として黎明期の作品の企画立案と脚本を手掛けた。
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