『水木しげるが見た戦場 ~どんなにつらくても、己の道を進む~』戦場に送られた一個人の体験に基づく貴重な「平和学習プログラム」があった
貴重な「平和学習プログラム」が存在していた。
「平和学習」は、教育旅行や校外学習などで訪れる児童・生徒に対し、戦争の記憶を伝承し、今後の平和を探求することを目的としたものだ。主流は、広島や長崎、沖縄といった、大規模な戦禍を受けた土地(エリア)の記憶の伝承をベースとしたものだろう。
だが、それとは異なる、個人の体験に基づくものもある。
鳥取県境港市の「水木しげる記念館」による平和学習プログラムも「戦場に送られた一個人」の体験に基づくものだ。しかも、対象となる子どもたちにも入りやすい「入り口」がある。
この貴重な平和学習プログラム『水木しげるが見た戦場 ~どんなにつらくても、己の道を進む~』が、「教員のための博物館の日」の企画として一般の教員に紹介された。
ここではこのプログラムの内容と参加した教員の反応を紹介したい。

『水木しげるが見た戦場』の特徴

このプログラムの特徴は、大きく2点ある。ひとつは、「普通の青年が一兵卒として戦場に送られ戦うことになった個人の体験」に基づく内容であること。もうひとつは、プログラムのナビゲーターが「ねずみ男」(『ゲゲゲの鬼太郎』に登場するキャラクター)であり、子どもが興味を持ちやすいことだ。
いずれも、体験の主体が「知らない誰か」ではなく、著名な漫画家・水木しげるであることから、体験者をイメージしやすく、また彼が生み出した国民的キャラクターが内容に入りやすくしている。

《漫画家・水木しげる》
このプログラムで紹介される体験の主体は、漫画家の水木しげるだ。
水木の生んだ作品『ゲゲゲの鬼太郎』は、国民的作品であり、「鬼太郎」「目玉おやじ」「ねずみ男」などのキャラクターは、年齢を問わず幅広い世代に知られている。

水木しげるは、21歳で陸軍に召集され、南方ニューブリテン島(現在のパプアニューギニア領)に出征した。最前線の激戦地で、仲間は次々と戦死し、当人もマラリアに罹患。さらに爆撃により左腕を失うという、苛酷極まりない体験をした。

《水木しげるの苛酷な戦場体験が反映された漫画『総員玉砕せよ!』(講談社文庫)》
その体験の数々は、『総員玉砕せよ!』などのマンガ作品や、『娘に語るお父さんの戦記』などのエッセイ作品に描き残されている。
そんな水木しげるの人生と作品を紹介する施設が、水木の故郷・鳥取県境港市にある「水木しげる記念館」だ。2003年に開館し、2024年にリニューアルオープン。リニューアル後は、水木の戦地での体験の紹介にも力が入れられている。
この施設で実施するために制作されたのが、平和学習プログラム『水木しげるが見た戦場』だ。
平和学習プログラム『水木しげるが見た戦場 ~どんなにつらくても、己の道を進む~』の内容
プログラムは、多目的室での学習と、展示室の閲覧の2部構成。多目的室での学習は、映像と進行役による語りを組み合わせた構成になっている。
映像では、人気キャラクター「ねずみ男」がナビゲーターとなっている。映像は5つのパートで構成され、その映像を受けて、進行役が重要ポイントの確認や、自分の身に引き寄せて考えることをうながしていく。

最初のパートは、水木しげるという人物を紹介しつつ、プログラム全体の概要紹介になっている。
第2のパートでは、明治維新以降、なぜ日本は戦争へ向かっていったのかという流れを確認しながら、水木が出征するまでを紹介する。
明治政府が掲げた「富国強兵」。日清戦争・日露戦争への突入。これに勝利し、アジア太平洋地域への影響力が高まる。国内は「治安維持法」で言論を弾圧。「戦争反対」も封殺され、国民は戦争に向かわせられた。中国大陸で日中戦争がはじまり、1939年には第2次世界大戦が勃発。1941年に、日本はアメリカとの太平洋戦争に突入していく。「兵役法」により、男子全員が兵士になる義務を負い、戦況が悪化すると対象年齢が引き下げられていく。そんななかで、21歳の水木も徴兵されラバウルに出征することに。
このパートでは、時代の流れと国家の意向で、個人の意思とはまったく関係ないところで戦争が起こり、普通の青年が戦場に兵士として強制的に送り込まれる、という実情が紹介される。
そのなかで「同調圧力」の恐ろしさが強調される。

《「戦争に行く」ということを、自分ゴト化する投げかけ》
このパートでは、語り部分で、参加者への投げかけが行われる。
「もし、あなたが戦争に行くことになったら、その前になにをしたいですか?」

第3のパートは、水木が体験した、戦地での兵士としての日常と、直面した苛烈な状況の紹介だ。
激しい戦闘だけでなく、飢えやマラリアで次々と仲間が死んでいく。陣地づくり、食料の確保など苛酷な労働。上官からの暴行。劣悪な生活環境。
南方戦線での死因の少なくとも6割以上が餓死、栄養失調死だったという。敵との戦闘以前に、環境に殺された人が半数以上いることが示される。
そして、不意の敵襲を受け所属部隊は全滅、一人生き延び必死にほかの部隊にたどり着けば、なぜ死ななかったと叱責される。その後マラリアに罹って動けないときに爆撃に逢い左腕を損傷。麻酔もなく左腕を切断されることになるーー。
そして第4のパートでは、戦場における指揮官の判断の異常性が紹介される。死ぬ前提の突撃を強要する「玉砕命令」。隊員が生き残ったことに責任を取らせる「自決命令」。いったいなんのための玉砕なのか。なんのための自決なのか。誰かのメンツ、生き恥、卑怯という言葉のために多くの兵士の命が奪われていく。この命令はいったいなんなのか。
水木は、戦後のインタビューでこんな言葉で語っていたという。「味方という名の地獄」――。
このパートでは、映像後の語りパートに漫画の1シーンを題材としたロールプレイング(登場人物役を参加者が演じる)が組み込まれている。
激戦の戦場で、負傷した戦友をその場に置き去りにする場面だ。
演じ手は3人。負傷兵の手の小指を遺骨にするため切り落とした上で置き去りを命じる上官役と、小指の切断を命じられる兵士役、置き去りにされる負傷兵役の3人だ。通常は、非情な指令を下す上官役を先生に割り振り、兵士ふたりを生徒に演じさせる。
自分ゴトとして考える、そのトリガーとして極めて強いアプローチだ。

《戦場置き去り場面のロールプレイングに参加する教員たち》

《左腕を失った水木しげるが、どのように紙を押さえて漫画を描いていたか、を実演する進行役》
第5のパートは、第3、第4のパートで確認してきた、苛烈で困難極まりない体験した水木が、戦後に漫画家として自分の道を切り拓いたことを紹介する。
現在の生活からは想像もつかないような極限の苦難と、それに負けない水木の不屈の意思を記して、このプログラムは終わる。
『水木しげるが見た戦場 ~どんなにつらくても、己の道を進む~』の強さを感じた
このプログラムが真に強いのは、第3、第4パートで描かれる戦場の実相だ。
人が人として扱われなくなる恐ろしさ。
狂気が、周囲からの圧力が、人としてあり得ない判断をさせる恐ろしさ。
戦争とは、人が人として認められなくなる場なのだ。
狂気が、人であることを捨てさせる環境なのだ。
水木しげるという一個人が戦場に送られた体験をもとにした平和学習プログラムは
当時の政府のプロパガンダにより戦争を正義とする同調圧力と戦場という環境が、人間を壊していく恐ろしさを感じさせる、非常に強いプログラムであった。
このプログラムが、多くの若い世代に届けられ、戦争の真の怖さを感じてもらうことで、戦争を避け平和を維持するために、一人ひとりが自分ゴトとして考え、行動してくれることを願うばかりである。
「教員のための博物館の日」企画に「水木しげる記念館」が初参加

《開会あいさつに立つ庄司行男館長》
今回この貴重な平和学習プログラムが一般の教員に公開されたのは、「教員のための博物館の日」という国立科学博物館が主導する事業の一つとして実施された。この事業は、学校の授業に役立つ「学習資源」が、各所の博物館に豊富にあることを学校の先生に知ってもらうこと、博物館に親しみを持ってもらうことを目的としたイベントだ。2008年に国立科学博物館が開始し、現在は全国の博物館が参加している。
「水木しげる記念館」は、本年この事業に初参加を決め、8月24日(月)に実施された。
当日は、鳥取県内と隣接する島根県の教員が多く参加したが、大阪から参加した熱心な先生もいた。

《常設展示室第2章を熱心に見入る参加者》
庄司行男館長による開会のあいさつ後、参加者は平和学習プログラム『水木しげるが見た戦場 ~どんなにつらくても、己の道を進む』を体験した。
まずは2階の展示室へ。学芸員の解説を聞きながら展示室を閲覧する。常設展示室の第2章は、まさに水木しげるの戦場体験が紹介されたエリアであり、参加教員も熱心に展示内容に見入っていた。

その後、1階の多目的スペースに戻り、学習パートを体験した。
参加した教員からは「水木さんが実際に体験したことなので、子どもにもより身近な自分ゴトとしてとらえてもらえるのではないか」「みんなが知ってる『ねずみ男』による解説だったので、小学生も身近に感じて、考えるきっかけになるのではないか」など、教育現場ならではの感想が寄せられていた。
「教員のための博物館の日」に参加し、教員に体験してもらえたことで、水木しげる記念館側も手ごたえを感じたようだ。「平和学習は、実際に見てもらえないとわからない部分が多い。今回、現場の先生方に直接見てもらい体験してもらえたことの意義は大きかった。子どもには、『戦争』というものを自分ゴトとしてはなかなかとらえにくい部分がある。鬼太郎やねずみ男などのキャラクターを通して、自分ゴトとして考えるきっかけを提供できたらと願っている」(坂本学芸員)
©水木プロダクション
取材・構成:ヤマモトカズヒロ
平和学習プログラム【水木しげるが見た戦場 ~どんなにつらくても、己の道を進む~】
平和学習プログラムのご案内(水木しげる記念館 公式サイト):https://mizuki.sakaiminato.net/topics/c215/
水木しげる記念館
住所:鳥取県境港市本町5
開館時間:9:30~17:00(最終入場 16:30)
休館日:年中無休
入館料:一般1000円、中高生500円、小学生300円、障がい者300円。、未就学児無料
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Writer
ヤマモトカズヒロ
(やまもとかずひろ)
エンタテインメント作品宣伝稼業。主な担当作品:『悪魔くん』『PUI PUI モルカー』『この世界の片隅に』『ケータイ捜査官7』『午前十時の映画祭』『映像∞文化のまち ねりま』『調布シネマフェスティバル』など。VECTOR Magazine編集部所属。
Xアカウント:ヤマモトカズヒロ(@yamamotokaz)


