没後15年、いま見返されるべき映画監督、今 敏の世界
奇跡みたいな出会いと成しとげたもの
――丸山さんは、今さん以外にも、りんたろうさんや川尻善昭さん、大友克洋さん、片渕須直さんなど、これまで多くの監督と作品を作ってきていますね。
丸山 みんな本当にゆずらない監督ですから、いつも戦争でした(笑)。ぶつかる一番の理由は、尺やスケジュールです。お金がからんでくるので、尺を短くしてくださいというのが僕の仕事みたいなところがあって。ただ、どの監督であれ、やりたいことをやろうとすると、長くなる。監督ががんばるほど長くなるのですが、僕は一番やりたいところを切ってくださいっていうんです。でも、監督が「わかりました」っていうわけがない。僕は切ったほうがよくなるっていう確信があるから「ここはないほうがいい」というのですが、「ここのシーンのためにやってるんだ!」と怒られたこともある。でも、説得できると大体よくなります。今くんともそんなことは何度もありました。
――今監督の劇場用作品は、ほぼ90分以内に収まっていますが、そういうやりとりがあったのでしょうか。
丸山 一番大変だったのは『千年女優』かな。彼が「絶対に切れない」というので、「じゃあわかった」と絵コンテに、僕が赤いデルマ(ダーマトグラフ)で「こことここ」と書き込んで、10分ぐらい切ってみた。結局、彼は全部そこを生かして、まったく別のところを10分切ってきたんです。「10分切れば文句ねぇだろう!」っていって(笑)。僕は、つなぎの余計かなと思ったところを切ったのですが、彼はそこを切らずに 違うところを10分切った。それは見事なものでした。
――お互いへの信頼感が無いとできないことですね。
丸山 今くんからは、僕の欠点は酒を飲まないことだといってました。酒の席に行かないから、夜は絶対一緒にならない。彼は、酒席で好きな映画の話をよくしていたそうなんですが、僕ともうすこし映画の話ができれば面白かったのにな、といっていましたね。
――今さんの作品は、いまも古びずに多くの人に見られていますね。

丸山 面白い映画はいつ見ても面白いんです。僕にとっては、あの時代に彼と映画が作れたこと自体が奇跡に近い。今 敏って存在に出会えたのが奇跡でした。あんなにお金も時間もない環境で、今 敏はあれだけのものを作った。恵まれた状況で、いいスタッフがいて、ちゃんとしたものを作るっていうのは、当たり前といえば当たり前じゃないですか。そういうのではないところから、ある種のエネルギーというか集中力というか、凝縮された時間があそこにあったんでしょう。映画を見ると、いまとなってはそんな時間でできたとは思えないんです。倍の時間とお金があっても、あそこまでできたかわからない。ただ、今くんだからできたんですね。こういうことがあるんだなと、それはすごく思います。そんな奇跡みたいな感じがします。
丸山 正雄(まるやま まさお)
1941年6月19日宮城県生まれ。スタジオM2プロデューサー。テレビアニメーションの創生期、虫プロダクション(旧)に入社し、手塚治虫の元でアニメ制作にたずさわる。1972年、出﨑統らと独立し、マッドハウスを設立。企画やプロデューサーとして『YAWARA!』『PERFECT BLUE』『時をかける少女』など多くの作品を手がける。その後、アニメ制作会社・MAPPAの設立を経て、2016年にスタジオM2を立ち上げた。
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■プロデューサー 丸山正雄が語る映画監督 今 敏 前編
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