【ネタバレ注意】『新幹線大爆破』を熱烈リブート!監督・樋口真嗣の仕事
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樋口真嗣監督ができるまで

個性を際立たせる人物描写と、迫力ある視覚効果を組み合わせた演出で、実写、アニメを問わず、国内外から評価される樋口真嗣監督。
樋口監督と映画製作現場の結びつきは古い。中学生時代に、CM制作の仕事をしていた叔母と一緒に東宝スタジオを見学したのが、撮影所との初めての関わり。以後、度々撮影現場を訪れるようになり、高校3年生のころにはSF映画『さよならジュピター』(1984)などの特撮現場を手伝うようになり、そのままスタジオへ通い詰めるように。
高校卒業後は、東宝特殊美術課で10年ぶりの新作「ゴジラ」(1984)の特殊美術監督の井上泰幸(アルファ企画)の助手として正式に雇用される。直後に造型部に異動し、造型作家・安丸信行の下で、造型や撮影に従事。こうして樋口監督は、日本の伝統的な特撮技術の基礎を学んだのだった。
その後は、特撮の仕事が途絶えたため東宝を離れ、親交のあった庵野秀明らのアマチュアグループ「DAICON FILM」と合流。やがてDAICON FILMは、アニメ映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987)制作のため、株式会社ガイナックスへ改組。樋口監督は同作で助監督、『ふしぎの海のナディア』(1990)のシリーズ中盤以降で初のアニメ監督を務めた。そして海外リメイク版の『ウルトラマンパワード』(1993)で仕事を共にした脚本家の伊藤和典に誘われ『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995)の特技監督を務めることになる。
予算が少ない日本のTV特撮では、詳細な絵コンテを作り、あらかじめカメラの位置を決め、必要な画角に合わせてミニチュアを配置する方法で撮影していた。「平成ガメラ」の特撮で樋口監督が採用したのは、この効果的な方法だった。アニメの経験を生かしたダイナミックな絵コンテをもとにCGを始めとするデジタル技術も積極的に使用。新しい基軸を盛り込んだ『ガメラ 大怪獣空中決戦』は、日本アカデミー賞特別賞を受賞した。
「平成ガメラ」シリーズが多くの観客に受け入れられたことで、樋口監督の名と手腕は広く認められ、多くの娯楽作品の視覚効果を手掛けるように。そしてCGを駆使した短編作品『ミニモニ。THE(じゃ)ムービー お菓子な大冒険!』(2002)で、実写映画監督デビュー。『ローレライ』(2005)で、長編映画デビューを果たす。以降も、樋口監督は、視覚効果を軸にした大型作品を作れる稀有な映像作家として活躍を続けている。
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