配信があろうが、シネコンがあろうが、 私たちには今こそ「名画座」が必要だ。
Index
コラム今こそ、「名画座」で映画を観よう
皆さんは『名画座かんぺ』というフリーペーパーをご存知だろうか? 東京の名画座や国立映画アーカイブなどに足を運ばれた方は、ロビーにさりげなく置かれている掌より小さいB7サイズに織り込まれたこの手づくり感溢れる冊子を一度は手にしたことがあるのではないか。中には東京の「名画座」(1ヶ月分の番組とその周辺)に関する読み物がギッシリ!これを毎号手描きで制作して自ら配本しているのが、発行人ののむみちさんである。
最初にこのペーパーを手にした時、長らく失われてきたものが帰ってきたような感慨があった。かつての情報誌全盛時代の東京には『ぴあ』や『シティロード』という名画座番組を毎月ひと目で確認できる紙のツールがあった。それが、情報がネットに移行すると、作品名や劇場名では容易に検索できるが、複数の映画館の番組を比較してパッと選択できるツールがなくなったのである。新作映画ならば、まだしばらくは鑑賞の手段があるだろう。しかし「名画座」でその時にしか観られない映画を選ぼうとする時、ネットでは途方にくれてしまいがち。それをこんなにハンドメイドかつ、だが根気を必要とする手法で解決してくれたとは!
しかも情報紙とはいえ、内容の一文でも読めば、のむみちさんの映画(特に旧作邦画)愛と、現在の名画座状況への理解が手に取るようにわかる。あくまでいち映画ファン目線でありながら、経営する側への目配せも随所に見られるのがなんとも微笑ましい。
『名画座かんぺ』自体は東京地区限定だが、Chapter3でも紹介した全国の劇場にも、のむみちさんと同じように名画座を支えている方々が大勢いらっしゃるはずである。さらに、名画座を愛する映画ファンはまだまだ数限りなく存在する。今号の最後にそういった方々を代表して、のむみちさんのコラムをお届けしたい。
最初にこのペーパーを手にした時、長らく失われてきたものが帰ってきたような感慨があった。かつての情報誌全盛時代の東京には『ぴあ』や『シティロード』という名画座番組を毎月ひと目で確認できる紙のツールがあった。それが、情報がネットに移行すると、作品名や劇場名では容易に検索できるが、複数の映画館の番組を比較してパッと選択できるツールがなくなったのである。新作映画ならば、まだしばらくは鑑賞の手段があるだろう。しかし「名画座」でその時にしか観られない映画を選ぼうとする時、ネットでは途方にくれてしまいがち。それをこんなにハンドメイドかつ、だが根気を必要とする手法で解決してくれたとは!
しかも情報紙とはいえ、内容の一文でも読めば、のむみちさんの映画(特に旧作邦画)愛と、現在の名画座状況への理解が手に取るようにわかる。あくまでいち映画ファン目線でありながら、経営する側への目配せも随所に見られるのがなんとも微笑ましい。
『名画座かんぺ』自体は東京地区限定だが、Chapter3でも紹介した全国の劇場にも、のむみちさんと同じように名画座を支えている方々が大勢いらっしゃるはずである。さらに、名画座を愛する映画ファンはまだまだ数限りなく存在する。今号の最後にそういった方々を代表して、のむみちさんのコラムをお届けしたい。
私と「名画座」
のむみち(『名画座かんぺ』発行人)
映画との関わり
今年の年明けに我が『名画座かんぺ』は10周年を迎えました(オソロしい……!)。あんな狂気じみたフリーペーパーを作ったヒトはさぞかし筋金入りの映画マニアなのであろう、そう思われるのが長いことコンプレックスだったことをまずここに告白しておきたい。
というのも、自分が旧作邦画に接したのはほんの2008年頃のこと、30歳を過ぎてからでした。それまでは、映画は嫌いではないものの、隣駅のシネコンで新作ハリウッド映画を月に数本観る程度。そんな自分が「旧作邦画専門の人」になってしまったきっかけは、ふたつあります。 ひとつは、飲みの席でどういう話の流れだったか、勤務先の店主から「クロサワ映画を観たことがないなんて日本人じゃないッ!」と言われたこと(なんたる暴言!笑)。売りことばに買いことばで、「そんなに言うなら、観りゃいいんデショ!」と返したのでしたが、折しも2008年は黒澤明の没後10年の年で、BSで黒澤明全30作品をテレビ放映していたのです。そこでせっせと録画して観てみたのがひとつ。
もうひとつは、勤務先が古本屋(南池袋・古書往来座)なのですが、古本屋のお客さんは、本は当然のこと映画や音楽なども昔のものが好きな人が多い。常連客の中にも何人かそういう人がいて、「マスムラ(増村保造)はスゴイぞ」とか「ナルセ(成瀬巳喜男)はヤバイぞ」としつこく勧めてくる。挙句のはてに、その内の1人が、オヅ(小津安二郎)やナルセのDVDを貸してまでくれるようになり、観てみたのがひとつです(ちなみにその人物こそが、後年『名画座手帳』の編集を担当してくれることになり、さらにその後『秋山邦晴の日本映画音楽史を形作る人々 アニメーション映画の系譜』(DU BOOKS)など、数々の映画本編集にも携わるようになる、朝倉史明氏です)。
そして、職場のある池袋に、このような旧作邦画を上映している「名画座」なる映画館があると知ったのが翌2009年。1人で行く勇気はなかったので、行ったことのある友人に連れて行ってもらい、「新文芸坐」に足を運んだのが、「淡島千景特集」でした。その日は成瀬巳喜男デーで『鰯雲』(58)と『妻として女として』(61)の2本立て。蛇足ですが、自分が最も敬愛している“婆優(ばあゆう)”飯田蝶子を初めて意識したのがこの日観た『妻として女として』でした。
一回行って勝手を知ってしまえばこっちのもの、と、その後少しずつ同館に足を運ぶようになり、その数ヶ月後に生まれて初めて「名画座でひとつの特集に通う」という経験をしたのが、同館での「京マチ子特集」でした。少しずつ馴染みの俳優さんができ、俳優の名前も覚え、各名画座のチラシをテーブルに広げてウットリと眺めるようになった頃には、すでに重度の「旧作邦画病」に罹っていた訳です。
というのも、自分が旧作邦画に接したのはほんの2008年頃のこと、30歳を過ぎてからでした。それまでは、映画は嫌いではないものの、隣駅のシネコンで新作ハリウッド映画を月に数本観る程度。そんな自分が「旧作邦画専門の人」になってしまったきっかけは、ふたつあります。 ひとつは、飲みの席でどういう話の流れだったか、勤務先の店主から「クロサワ映画を観たことがないなんて日本人じゃないッ!」と言われたこと(なんたる暴言!笑)。売りことばに買いことばで、「そんなに言うなら、観りゃいいんデショ!」と返したのでしたが、折しも2008年は黒澤明の没後10年の年で、BSで黒澤明全30作品をテレビ放映していたのです。そこでせっせと録画して観てみたのがひとつ。
もうひとつは、勤務先が古本屋(南池袋・古書往来座)なのですが、古本屋のお客さんは、本は当然のこと映画や音楽なども昔のものが好きな人が多い。常連客の中にも何人かそういう人がいて、「マスムラ(増村保造)はスゴイぞ」とか「ナルセ(成瀬巳喜男)はヤバイぞ」としつこく勧めてくる。挙句のはてに、その内の1人が、オヅ(小津安二郎)やナルセのDVDを貸してまでくれるようになり、観てみたのがひとつです(ちなみにその人物こそが、後年『名画座手帳』の編集を担当してくれることになり、さらにその後『秋山邦晴の日本映画音楽史を形作る人々 アニメーション映画の系譜』(DU BOOKS)など、数々の映画本編集にも携わるようになる、朝倉史明氏です)。
そして、職場のある池袋に、このような旧作邦画を上映している「名画座」なる映画館があると知ったのが翌2009年。1人で行く勇気はなかったので、行ったことのある友人に連れて行ってもらい、「新文芸坐」に足を運んだのが、「淡島千景特集」でした。その日は成瀬巳喜男デーで『鰯雲』(58)と『妻として女として』(61)の2本立て。蛇足ですが、自分が最も敬愛している“婆優(ばあゆう)”飯田蝶子を初めて意識したのがこの日観た『妻として女として』でした。
一回行って勝手を知ってしまえばこっちのもの、と、その後少しずつ同館に足を運ぶようになり、その数ヶ月後に生まれて初めて「名画座でひとつの特集に通う」という経験をしたのが、同館での「京マチ子特集」でした。少しずつ馴染みの俳優さんができ、俳優の名前も覚え、各名画座のチラシをテーブルに広げてウットリと眺めるようになった頃には、すでに重度の「旧作邦画病」に罹っていた訳です。
『名画座かんぺ』創刊のきっかけ
時を同じくしてTwitterを始めたのですが、始めてみてわかったのは、同年代もしくは年下の世代の女性で自分同様名画座にハマっている人が少なからずいる、ということ。Twitter上でやり取りをするうち、仲良しグループなどもでき自分なりの名画座ライフを満喫しておりました。
そして、名画座に行き始めて2年ほどした時です。それまで約1年担当をしていた生まれて初めての連載の仕事(池袋の無料情報誌『buku』での旧作邦画紹介)が廃刊でなくなり、応援してくれていた友人が「今度は自分でなんか作れば?」と言う。
その時点で、すでに自分も、都内の名画座をハシゴするイッパシの名画座ファンとなっておりましたが、毎月楽しくも大変だったのが、日々の名画座ライフのスケジュール調整です。当時自分は、市販の「ファミリーカレンダー」を使って、家族欄に館名(お父さんの欄が新文芸坐、お母さんが神保町シアター、など)を当て、自分が行ける回、行きたい回を書き入れて一覧できるようにしておりました。しかし、それだと、自分が行ける予定しか書き入れないため、全部の欄は当然埋まらない。そこでふと思いつきました。
「すべての欄を埋めれば、みんなが使える名画座の上映カレンダーになる」
仲良しグループのみんなに訊いたら、「そんなのがあったら欲しい」、と言う。そして職場の店主も珍しく「いいアイディアだ」と背中を押してくれ、のみならず「表紙は任せろ」、とまで言う。
それから約ひと月、サイズや仕様などを決め、実際に作って、めでたく『名画座かんぺ』として刊行の運びとなったのが2012年1月でした。
そして、名画座に行き始めて2年ほどした時です。それまで約1年担当をしていた生まれて初めての連載の仕事(池袋の無料情報誌『buku』での旧作邦画紹介)が廃刊でなくなり、応援してくれていた友人が「今度は自分でなんか作れば?」と言う。
その時点で、すでに自分も、都内の名画座をハシゴするイッパシの名画座ファンとなっておりましたが、毎月楽しくも大変だったのが、日々の名画座ライフのスケジュール調整です。当時自分は、市販の「ファミリーカレンダー」を使って、家族欄に館名(お父さんの欄が新文芸坐、お母さんが神保町シアター、など)を当て、自分が行ける回、行きたい回を書き入れて一覧できるようにしておりました。しかし、それだと、自分が行ける予定しか書き入れないため、全部の欄は当然埋まらない。そこでふと思いつきました。
「すべての欄を埋めれば、みんなが使える名画座の上映カレンダーになる」
仲良しグループのみんなに訊いたら、「そんなのがあったら欲しい」、と言う。そして職場の店主も珍しく「いいアイディアだ」と背中を押してくれ、のみならず「表紙は任せろ」、とまで言う。
それから約ひと月、サイズや仕様などを決め、実際に作って、めでたく『名画座かんぺ』として刊行の運びとなったのが2012年1月でした。
『名画座かんぺ』とは
『名画座かんぺ』は、B4サイズのペラ一枚の紙を、いわゆる「地図折り」と呼ばれる折り方でB7サイズにまで折り畳んでいます。その折り方も、何度も紙をこねくり回して考えました。最終サイズをB7に決めたのは、それがポケットに入る大きさだから。「ポケットに、名画座を。」
片面は、「特集上映という形で主に旧作邦画を上映する都内の名画座」6館、新文芸坐、神保町シアター、ラピュタ阿佐ヶ谷、フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)、シネマヴェーラ渋谷、銀座シネパトス(2013年閉館)のひと月分のカレンダー。もう片面は、折り畳んだ時に見栄えが良いように8つの枠それぞれに、表紙(職場の店主による版画作品)を始め、カレンダーに入りきらない上映情報や、各劇場のインフォメーション、新刊映画本情報、そして編集後記的「ごあいさつ」などの掲載という形でスタートいたしました。現在は、カレンダー内の銀座シネパトスだった枠を「その他」とし、鎌倉市川喜多映画記念館やシネマブルースタジオ、突発的に入って来る旧作邦画系の映画祭(角川主催のものなど)を載せるのに使っています。また、近年では、旧作邦画のレア作を「幻の蔵出し映画館」というコーナーで発掘放映されている衛星劇場さんとタイアップをし、毎月そこでかかる3本のレア作のレビューをいち早くお届け、という取り組みもしております。
発行部数は、創刊当初は200枚。その後ほどなくして、ありがたいことに設置場所も増え、さらに在庫がなくなると独自に追加コピーしてくださる劇場や取扱店もでき、今ではひと月に800枚強が出回っている感じでしょうか。
片面は、「特集上映という形で主に旧作邦画を上映する都内の名画座」6館、新文芸坐、神保町シアター、ラピュタ阿佐ヶ谷、フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)、シネマヴェーラ渋谷、銀座シネパトス(2013年閉館)のひと月分のカレンダー。もう片面は、折り畳んだ時に見栄えが良いように8つの枠それぞれに、表紙(職場の店主による版画作品)を始め、カレンダーに入りきらない上映情報や、各劇場のインフォメーション、新刊映画本情報、そして編集後記的「ごあいさつ」などの掲載という形でスタートいたしました。現在は、カレンダー内の銀座シネパトスだった枠を「その他」とし、鎌倉市川喜多映画記念館やシネマブルースタジオ、突発的に入って来る旧作邦画系の映画祭(角川主催のものなど)を載せるのに使っています。また、近年では、旧作邦画のレア作を「幻の蔵出し映画館」というコーナーで発掘放映されている衛星劇場さんとタイアップをし、毎月そこでかかる3本のレア作のレビューをいち早くお届け、という取り組みもしております。
発行部数は、創刊当初は200枚。その後ほどなくして、ありがたいことに設置場所も増え、さらに在庫がなくなると独自に追加コピーしてくださる劇場や取扱店もでき、今ではひと月に800枚強が出回っている感じでしょうか。
創刊後の発展
おかげさまで、創刊してすぐに大きな反響をいただきました。そして、2号目でいきなりライムスター宇多丸さんのTBSのラジオ番組『ウィークエンドシャッフル』の名画座特集でゲストの娯楽映画研究家・佐藤利明さんと放送作家・高橋洋二さんに取り上げていただくという幸運に恵まれ、一気に世に知られることとなりました(このひと晩でTwitterのフォロワーが一気に数百人増えた記憶が)。
そしてさらに、同年初夏頃でしたか、職場に可愛らしい女性2人組が自分を訪ねて来てくれ、なんと『名画座かんぺ』の手伝いをしたい、と仰る。聞けば、元某情報誌の編集部にいたとのことで、その媒体なき今(と書くと誌名がバレるだろうか……)、『名画座かんぺ』を見て居ても立っても居られなくなった、と。ただ、1人でやる気楽さもあるし、こちらは如何せん「手書き」だし、じゃあ、こっちで取り上げきれない名画座やミニシアターの情報をまとめてあげたらいいかも! 名前も『ミニシアターかんぺ』で姉妹紙ってことで一緒にやって行こうよ、と生まれたのが『ミニシアターかんぺ』です。つまり、『名画座かんぺ』と『ミニシアターかんぺ』の両方持っていれば、シネコン以外の都内近郊の映画館は大体カバーできる仕組みです。『ミニシアターかんぺ』も2012年8月号以降1号も欠かさず、つまり、もうあと数ヶ月で10周年です!
また、個人的にも『名画座かんぺ』を通して、さまざまな広がりがございました。2016年には『名画座かんぺ』から派生した『名画座手帳』を刊行、今年の2022年版で7冊目となり、毎年豪華な帯文執筆者も話題となっております(今年は、女優の香川京子さんとヴィム・ヴェンダース監督!)。2017年には『週刊ポスト』で連載開始、4年間「週刊名画座かんぺ」を担当し、その週に名画座で上映される作品を紹介させていただきました(残念ながら昨年で終了)。2018年には、先日惜しくもご逝去なさった宝田明さんの自伝本のインタビュー構成を務める光栄に浴しました(筑摩書房より『銀幕に愛をこめて ぼくはゴジラの同期生』として刊行)。また、今年の年明けに、改装休館前の新文芸坐にて、「没後50年 飯田蝶子 ”婆優”一代」なる企画をやらせていただいたのも感激でした。名画座ファン、旧作邦画ファンの自分からすると、名画座ライフが始まったきっかけでもある新文芸坐で、自分が一番好きな俳優の上映企画のお手伝いができるということは、無上の歓び。この時、自分の活動の歩みをよく知っている知人から言われて嬉しかった言葉が、「のむさんはほんと、映画好きの夢を叶えていってるよね~」でした。
そしてさらに、同年初夏頃でしたか、職場に可愛らしい女性2人組が自分を訪ねて来てくれ、なんと『名画座かんぺ』の手伝いをしたい、と仰る。聞けば、元某情報誌の編集部にいたとのことで、その媒体なき今(と書くと誌名がバレるだろうか……)、『名画座かんぺ』を見て居ても立っても居られなくなった、と。ただ、1人でやる気楽さもあるし、こちらは如何せん「手書き」だし、じゃあ、こっちで取り上げきれない名画座やミニシアターの情報をまとめてあげたらいいかも! 名前も『ミニシアターかんぺ』で姉妹紙ってことで一緒にやって行こうよ、と生まれたのが『ミニシアターかんぺ』です。つまり、『名画座かんぺ』と『ミニシアターかんぺ』の両方持っていれば、シネコン以外の都内近郊の映画館は大体カバーできる仕組みです。『ミニシアターかんぺ』も2012年8月号以降1号も欠かさず、つまり、もうあと数ヶ月で10周年です!
また、個人的にも『名画座かんぺ』を通して、さまざまな広がりがございました。2016年には『名画座かんぺ』から派生した『名画座手帳』を刊行、今年の2022年版で7冊目となり、毎年豪華な帯文執筆者も話題となっております(今年は、女優の香川京子さんとヴィム・ヴェンダース監督!)。2017年には『週刊ポスト』で連載開始、4年間「週刊名画座かんぺ」を担当し、その週に名画座で上映される作品を紹介させていただきました(残念ながら昨年で終了)。2018年には、先日惜しくもご逝去なさった宝田明さんの自伝本のインタビュー構成を務める光栄に浴しました(筑摩書房より『銀幕に愛をこめて ぼくはゴジラの同期生』として刊行)。また、今年の年明けに、改装休館前の新文芸坐にて、「没後50年 飯田蝶子 ”婆優”一代」なる企画をやらせていただいたのも感激でした。名画座ファン、旧作邦画ファンの自分からすると、名画座ライフが始まったきっかけでもある新文芸坐で、自分が一番好きな俳優の上映企画のお手伝いができるということは、無上の歓び。この時、自分の活動の歩みをよく知っている知人から言われて嬉しかった言葉が、「のむさんはほんと、映画好きの夢を叶えていってるよね~」でした。
名画座の現状
現在、名画座を取り巻く状況は、残念ながら決して良いとは言えないと思います。
「旧作を2本立て(かそれ以上)で安い料金で上映する」という意味での名画座は昔からずっとあった訳ですが、「名画座かんぺ」で取り上げる「特集上映を組んで旧作を上映する」タイプの名画座が今のようにしのぎを削る(?)ように名画座シーンを盛り上げるようになったのは2000年頃からです。以降、名画座ファンの嬉しい悲鳴を浴びながらあの手この手で名画座ファンを歓ばせてくれたこれら名画座も、他の業種同様、2020年のコロナ禍では大打撃を受けました。一旦映画館でのクラスターが起こりにくいとわかってからは客足も戻りつつありますが、それでも、一部の年齢層の客足は戻ってきていない、と嘆く支配人さんの声も聞こえます。
加えて、名画座最大の売りであるところの35mmフィルム上映において、肝心の、かけられるフィルム自体が減少している問題があります。フィルムは当然劣化します。しかし、映画会社としては、名画座での上映でしか利益が出ないフィルムを新しく焼き直すことに経費を回そうとは思わないでしょう。ただ、素晴らしいことに、「フィルムがないなら自分たちで焼けばいいじゃない」、とばかりに、特集上映を企画する度に何かしらニュープリントを焼いてくれる、漢気のある名画座(ラピュタ阿佐ヶ谷です!)もあることは、ここに記しておきたい。同館で焼かれたニュープリントが別の名画座でかけられ、プリントが生き続けるのを見ていると、こちらも胸が熱くなります。
と、名画座側の豪気な取り組みに触れたところで、映画会社側がもしそうだったらというほのかな要望がございます。自社の旧作のコンテンツを「利益を生まないから軽視」なさっているとしたらあまりにも悲しいのです。特にいくつかの映画会社が、もっと、旧作のコンテンツが確固たる「文化的財産」であると意識してくださればいいなあと思います。そして、その財産を守ると共に、その財産に名画座ファンが触れる機会を失くしてしまわないで欲しい。それが、この東京の片隅で、「名画座ファンが、そして旧作邦画ファンが少しでも増えること」を願いつつ、毎月小さな文字を書き続ける1人の人間の心の叫びでありマス。
「旧作を2本立て(かそれ以上)で安い料金で上映する」という意味での名画座は昔からずっとあった訳ですが、「名画座かんぺ」で取り上げる「特集上映を組んで旧作を上映する」タイプの名画座が今のようにしのぎを削る(?)ように名画座シーンを盛り上げるようになったのは2000年頃からです。以降、名画座ファンの嬉しい悲鳴を浴びながらあの手この手で名画座ファンを歓ばせてくれたこれら名画座も、他の業種同様、2020年のコロナ禍では大打撃を受けました。一旦映画館でのクラスターが起こりにくいとわかってからは客足も戻りつつありますが、それでも、一部の年齢層の客足は戻ってきていない、と嘆く支配人さんの声も聞こえます。
加えて、名画座最大の売りであるところの35mmフィルム上映において、肝心の、かけられるフィルム自体が減少している問題があります。フィルムは当然劣化します。しかし、映画会社としては、名画座での上映でしか利益が出ないフィルムを新しく焼き直すことに経費を回そうとは思わないでしょう。ただ、素晴らしいことに、「フィルムがないなら自分たちで焼けばいいじゃない」、とばかりに、特集上映を企画する度に何かしらニュープリントを焼いてくれる、漢気のある名画座(ラピュタ阿佐ヶ谷です!)もあることは、ここに記しておきたい。同館で焼かれたニュープリントが別の名画座でかけられ、プリントが生き続けるのを見ていると、こちらも胸が熱くなります。
と、名画座側の豪気な取り組みに触れたところで、映画会社側がもしそうだったらというほのかな要望がございます。自社の旧作のコンテンツを「利益を生まないから軽視」なさっているとしたらあまりにも悲しいのです。特にいくつかの映画会社が、もっと、旧作のコンテンツが確固たる「文化的財産」であると意識してくださればいいなあと思います。そして、その財産を守ると共に、その財産に名画座ファンが触れる機会を失くしてしまわないで欲しい。それが、この東京の片隅で、「名画座ファンが、そして旧作邦画ファンが少しでも増えること」を願いつつ、毎月小さな文字を書き続ける1人の人間の心の叫びでありマス。
今、名画座で映画を観るということ
昨今のアマゾンプライムやU-NEXTなどの配信の充実で自宅での映画鑑賞が気軽にできるようになった今、改めて名画座で映画を観る(しかも「フィルム」で)ことの意義にも思いを巡らさずにはいられません。
実は自分は、映画館鑑賞原理主義者でもフィルム原理主義者でもなく、自宅で映画を観ることを全く否定はしません。むしろ、旧作邦画ファンの裾野を広げるには、配信もソフト化も、ひいては名画座文化を守ることに繋がる大切な手立てと考えます。
がしかし、やはり映画館で映画を観ることの歓びは家庭の小さな画面でなんとなく映画を観るのとは全く違う体験であると断言できます。
名画座で旧作邦画を観ることの醍醐味に、時として、名画座でかかった作品がファンの間で話題となり、新しい価値が見出され、それまで忘れ去られていた作品が息を吹き返す、という現象があります。最終的には、ソフト化にまで漕ぎ着けられることも。そういった局面に立つ度、何かこう、「文化を生きている」感があって、興奮します。
「作品」だけではなく、それが「監督」だったりもします。例えば、ラピュタ阿佐ヶ谷でこの2月から4月にかけて上映されていた佐藤利明さんプロデュースの「番匠義彰監督特集」は、娯楽映画監督として軽んじられ(?)知名度もそれほど高くなかった1人の監督が、大々的な特集上映を通じて話題となり、5月からCSでも連続放映されています(すでに2009年に一度、同氏の肝入りで大々的に放映はされたそうですが)。いくつかの作品に関してはソフト化も夢ではないのでは、と踏んでおりますが、これなども、名画座そしてSNSあってこそのムーブメントと言えましょう。ちなみに完全に蛇足ですが、この特集の間、流行った言葉が「“番匠”お繰り合わせの上…」です(笑)。
その他にも、90年代、三軒茶屋「スタジオams」での特集上映が鈴木英夫監督の再評価に繋がったことなども、名画座伝説としてよく知られています。それまで一般的には(いや、映画ファンの間でも)全く知られていなかった鈴木英夫監督の作品は、今では名画座ファンの間では「クラシック」の域に達しています。
電子書籍の波により紙の本が売れないと嘆かれる出版界においても、それでも紙の本が消えることはないだろうと言われています。名画座も同様、名画座が存続する限り、名画座に足を運ぶお客様がいなくなることはない。そう信じて、そしてこれからも名画座に魅せられた同志たちの役に立つべく、体力が続く限りは(如何せんこちらも創刊してから10歳年を取っておりますので……)、小さな文字を書き続ける所存です。そしてこの原稿をヒイコラ書き上げた今、まさに次号の制作を始めねばならない「かんぺ期」。きゃー!
実は自分は、映画館鑑賞原理主義者でもフィルム原理主義者でもなく、自宅で映画を観ることを全く否定はしません。むしろ、旧作邦画ファンの裾野を広げるには、配信もソフト化も、ひいては名画座文化を守ることに繋がる大切な手立てと考えます。
がしかし、やはり映画館で映画を観ることの歓びは家庭の小さな画面でなんとなく映画を観るのとは全く違う体験であると断言できます。
名画座で旧作邦画を観ることの醍醐味に、時として、名画座でかかった作品がファンの間で話題となり、新しい価値が見出され、それまで忘れ去られていた作品が息を吹き返す、という現象があります。最終的には、ソフト化にまで漕ぎ着けられることも。そういった局面に立つ度、何かこう、「文化を生きている」感があって、興奮します。
「作品」だけではなく、それが「監督」だったりもします。例えば、ラピュタ阿佐ヶ谷でこの2月から4月にかけて上映されていた佐藤利明さんプロデュースの「番匠義彰監督特集」は、娯楽映画監督として軽んじられ(?)知名度もそれほど高くなかった1人の監督が、大々的な特集上映を通じて話題となり、5月からCSでも連続放映されています(すでに2009年に一度、同氏の肝入りで大々的に放映はされたそうですが)。いくつかの作品に関してはソフト化も夢ではないのでは、と踏んでおりますが、これなども、名画座そしてSNSあってこそのムーブメントと言えましょう。ちなみに完全に蛇足ですが、この特集の間、流行った言葉が「“番匠”お繰り合わせの上…」です(笑)。
その他にも、90年代、三軒茶屋「スタジオams」での特集上映が鈴木英夫監督の再評価に繋がったことなども、名画座伝説としてよく知られています。それまで一般的には(いや、映画ファンの間でも)全く知られていなかった鈴木英夫監督の作品は、今では名画座ファンの間では「クラシック」の域に達しています。
電子書籍の波により紙の本が売れないと嘆かれる出版界においても、それでも紙の本が消えることはないだろうと言われています。名画座も同様、名画座が存続する限り、名画座に足を運ぶお客様がいなくなることはない。そう信じて、そしてこれからも名画座に魅せられた同志たちの役に立つべく、体力が続く限りは(如何せんこちらも創刊してから10歳年を取っておりますので……)、小さな文字を書き続ける所存です。そしてこの原稿をヒイコラ書き上げた今、まさに次号の制作を始めねばならない「かんぺ期」。きゃー!