丸の内 TOEI閉館記念
さらば昭和の大映画館! いまこそ昭和の映画館を語ろう!
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Chapter3 樋口尚文氏が選ぶ、思い出の大型映画館ベスト5
樋口氏に個人的に記憶に残る大型映画館を挙げていただいた。
第5位 松竹セントラル
子供のころ、『砂の器』(1974)をはじめて観て衝撃を受けた映画館なので愛着がありますね。同じ野村芳太郎監督の『八つ墓村』(1977)の時には、八つ墓明神の祠が入口に作ってあって、そこを通らないと入場できない(笑)。あんな仕掛け、いまのシネコンではできないです。最近、野村監督のご子息の芳樹さんにうかがったら、初日には晴海通り沿いに歌舞伎座まで行列ができたそうです。社会人になってからは、会社が隣だったので、なお愛着が湧きました。
第4位 テアトル東京
スクリーンもさることながら、客席が赤で統一されていて、それがレッドカーペットみたいでとにかくカッコよかった。『2001年宇宙の旅』(1968)のリバイバル上映を、シネラマで観た時の興奮といったら! 『大地震』(1974)のセンサラウンド方式の音響(註13)を体感したのもこの劇場。あの低周波ギミックは、とんでもなくおっかない体験でした。ラストショーが『天国の門』(1981)だったというのも、らしいなぁと。ユナイテッドアーチスツを倒産に追い込んだ、あの歴史的興行失敗作で閉館するなんて、テアトル東京にふさわしい最後でした。
第3位 渋谷パンテオン(番外)
銀座の映画館ではないが、特例で挙げたい。なんといっても敬愛する大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』(1983)の初日を、大島組と共に迎えた思い出の劇場です。興行関係者は、難解だからと当初ミニシアターでの公開を主張していたんです。でもヘラルドが勝負した。初日、東急文化会館の階段にできた長い長い列。満員札止め。「戦メリ」Tシャツを着てバンダナを巻いた大島監督が、大ヒットに高揚してポップスターみたいに走って舞台に現れたんです。その姿はめちゃくちゃインパクトがありました。
第2位 丸の内ピカデリー
建物の入口に、まず長いエスカレーターがあって、それを上がりきってすぐ目の前のドアを開けると、いきなり広々とした客席という気持ちのよさ。『エクソシスト』での初体験も忘れられないけれど『ジョーズ』(1975)のラストで、サメを倒した瞬間に巻き起こった拍手喝采が一番の思い出です。お客さんは、いまでいう「推し活客」ではなくて、老若男女さまざまな本当に普通の人たち。そんな人たちが、いきなりワーっとなった。全館一体となったあの心地よさは、この劇場ならでは。
第1位 有楽座

戦前からの格調の高さ、路面の巨大な絵看板。すべてにおいてスペシャルを感じる映画館でした。衝撃的だったのは『地獄の黙示録』(1979)で、拡大ロードショーが一般化した時代に、あえて日本で1館だけのロードショーを仕掛けたこと。当時は電話予約なのに、あっという間に1カ月半分のチケットが売り切れた。しかも、エンドロールのない特別編集バージョンで、無料でクレジット表が配布された。こんなことができるのも、数々の名画を初公開してきた有楽座という映画館のステータスがあってのことでしょう。
註釈
- 註13 センサラウンド方式
『大地震』公開時の付加価値となった特殊音響効果。サウンドトラックに、低周波の音域を追加し専用スピーカーで再生。館内の空気を振動させることで地震を体感させ、大きな話題を呼んだ。
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