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丸の内 TOEI閉館記念
さらば昭和の大映画館! いまこそ昭和の映画館を語ろう!

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Chapter2 銀座の映画街の記憶をたどる

樋口氏とのトークは「丸の内 TOEI」を契機に、昭和の大規模な映画館のワクワク体験へと移っていくことに……。

『エクソシスト』初公開当時のチラシ。記録的なヒットが予想されたため、初の試みとして隣り合う2館で同時にロードショーが行われた。

日比谷映画街の華やかさ

樋口  私は佐賀県唐津市の生まれなんですが、東京の中学に通うことになったのは映画がきっかけでした。小6の時に少年雑誌で『エクソシスト』(1974年7月13日ロードショー)の記事を読んで、猛烈に観たかった。しかし、当時の洋画は、東京での公開から地方で上映されるまでにへたすると半年かかっていた。でも、そんなに待てない!と。そこで東京に社会見学に行きたいと親にせがんで、有楽町の「丸の内ピカデリー」で『エクソシスト』を観ました。これが銀座・有楽町・日比谷界隈の大型映画館の初体験でした。ちょうど昨今話題の三菱重工ビル爆破事件が起こった時で、危うく巻き込まれるところでした。でもこの映画体験がたまらなくて、半年後には勝手にひとりで東京の私立中学を受験。いざ合格したら親も舞い上がってしまって、まんまと中学からひとりで東京に脱出することに成功したんです。それもただ「映画が観たい」だけの理由なので、今思うと「好き」とか「あこがれ」のパワーってすごいですよね。それから、一番最寄りの映画街が銀座になるんです。

 

樋口氏が銀座の映画館に通い始めた1975年ごろの話をする前に、銀座の映画街がなぜ特別だったのか? 戦後の歴史をごく簡単にたどってみたい……。
第二次世界大戦の後、いち早く復活をとげて、庶民に娯楽を提供した映画は、大空襲を受けた東京でも、映画館が密集した「映画街」が、浅草、上野、錦糸町、銀座、渋谷、新宿、池袋などにあり、多くの人を集めた。中でも邦画・洋画各社が営業所を置く銀座は、1947年に「スバル座」が予約指定席制の先行公開「ロードショー興行」(註11)をはじめたことをきっかけに、次々と周辺の洋画館がロードショー興行を開始。いち早く「映画街」として発展を遂げた。以後、洋画の話題作が日本公開される際は、まず東京(銀座)と大阪の1館ずつで先行上映し、その入り具合で公開規模を決め、徐々に全国に広げていくという手法が続いた。その後、1970年ごろから、東京では銀座・渋谷・新宿で同時(拡大)ロードショーすることが一般化していく。前述の『エクソシスト』は、さらにそれを拡大した銀座・渋谷・新宿各2館ずつの公開で、当時話題を呼んだ。

 

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    【樋口氏が中1当時(1975年)の銀座の映画館分布図】
    その当時の銀座には、晴海通りをへだてて、日比谷に東宝系の劇場街、東銀座に松竹系の劇場街があり、その2地点の中間の有楽町にも巨大な日劇や丸の内ピカデリー、前章でふれた「東映会館」があり、加えて銀座通りを京橋方向に進んむと「テアトル東京」というシネラマの大劇場があった。そのほか「銀座並木座」、「銀座文化」(現在は改装して「シネスイッチ銀座」)などの名画座も点在、銀座全体が「映画の街」といえるほどだった。

     

    【1975年の銀座映画館分布図】
    1:日比谷映画 2:有楽座 3:日比谷スカラ座4:千代田劇場 5:みゆき座 6:有楽町スバル座 7:日劇 8:丸の内東宝 9:日劇文化劇場 10:ニュー東宝シネマ1 11:ニュー東宝シネマ2 12:丸の内ピカデリー 13:丸の内松竹 14:有楽シネマ 15:丸の内東映パラス 16:丸の内東映 17:銀座並木座 18:銀座文化 19:銀座東急(地図欄外新橋寄り) 20:テアトル東京 21:テアトル銀座 22:銀座地球座 23:銀座名画座 24:松竹セントラル 25:銀座松竹 26:銀座ロキシー 27:東劇

 

【銀座の大型ロードショー館(1975年)】

劇場名
(開館年/座席数)
概説
主なロードショー作品
有楽座
(1935年/1572席)
日比谷映画街の代表館。主に超大作・名作をロードショー
『風と共に去りぬ』『慕情』『アラビアのロレンス』『マイ・フェア・レディ』『メリー・ポピンズ』『ドクトル・ジバゴ』『ポセイドン・アドベンチャー』『未知との遭遇』『地獄の黙示録』『復活の日』『エレファント・マン』『レイダース』
日比谷映画劇場
(1933年/1370席)
日比谷映画街の最古の館。主にアクション映画をロードショー
『雨に唄えば』『ローマの休日』『007/サンダーボール作戦』『めまい』『OK牧場の決斗』『北北西に進路を取れ』『夕陽のガンマン』『明日に向って撃て!』『ゲッタウェイ』『犬神家の一族』『影武者』
日比谷スカラ座
(1940年/1197席)
旧東京宝塚劇場と同時オープン。主に女性向け映画をロードショー
『太陽がいっぱい』『ティファニーで朝食を』『突然炎のごとく』『シェルブールの雨傘』『赤ひげ』『昼顔『個人教授』『真夜中のカーボーイ』『ひまわり』『ラストタンゴ・イン・パリ』『サタデー・ナイト・フィーバー』
丸の内ピカデリー
(1957年/1386席)
旧館のオープンは1924年。東宝系の有楽座に匹敵する名作ロードショー館
『ウエスト・サイド物語』『サウンド・オブ・ミュージック』『暗くなるまで待って』『ウッドストック』『ある愛の詩』『時計じかけのオレンジ』『エクソシスト』『JAWS ジョーズ』『大統領の陰謀』『天国から来たチャンピオン』
松竹セントラル
(1956年/1400席)
旧東劇閉館後の東銀座映画街の代表館。超大作系作品をロードショー
『昼下りの情事』『史上最大の作戦』『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』『猿の惑星』『夕陽のギャングたち』『スティング』『砂の器』『タワーリング・インフェルノ』『JAWS ジョーズ』『スーパーマン』『ブルース・ブラザース』『戦場のメリークリスマス』
テアトル東京
(1955年/1150席)
東京唯一のシネラマシアターとして、独特な構造も人気を博した
『ベン・ハー』『西部開拓史』『グラン・プリ』『2001年宇宙の旅』『パットン大戦車軍団』『トラ・トラ・トラ!』『ゴッドファーザー』『パピヨン』『キングコング』『未知との遭遇』『スター・ウォーズ』『ディアハンター』『天国の門』

※座席数は1975年の記録と思われるものを参考とした

樋口  銀座の映画館は、それぞれに独特の匂いや、雰囲気がありました。特に東宝の日比谷劇場街の「日比谷映画」、「スカラ座」、「有楽座」、「みゆき座」が、ずらっと並んだ通りは本当に好きでした。晴海通りから歩いていって、国鉄(現JR)のガードを超えて左に曲がると、現在のミッドタウン日比谷の入り口から帝国ホテルまで一帯が、ぜーんぶ劇場の建物でしたから。

――東宝本社のある日比谷には、演劇劇場が2館と映画館が5館集まっていたわけですが、それぞれの映画館にとても個性がありました。

日比谷映画街では映画がヒットするたびに夕方や週末、このような行列ができ、複数の映画館の行列が重なりあっていた。(写真協力:公益財団法人川喜多記念映画文化財団)

樋口  なによりも、通りの右から左から、どでかい映画の看板がガンガンと迫ってくる。当時の看板は、大きな写真複写ができないから、ぜんぶ絵師が手がけた絵看板なんです。だから、俳優の顔とか微妙に似てないんだけど圧倒されて、ああ、映画街に来た!という感じでワクワクしました。その一番入り口のところにあったのが「日比谷映画」。日比谷映画街の先頭にあって、かなり奇抜な丸い塔のような作りの映画館で、映画街の端っこなので絵看板が特に目立つ。2階席、3階席が張り出していて、上のほうの字幕が席によっては見にくいという欠点があったんですが、あのたたずまいだけで好きでしたね。思い出すのは、黒澤明監督の『影武者』公開時。絵看板が城の石垣のように描かれ、映画館自体がまるで巨大な要塞のように装飾されていて驚きました。だけど、その奥の「有楽座」の絵看板は、もっと大きくて横20メートルぐらいあったんじゃないかな?
高井英幸さんが、東宝の社長をなさっている時に執筆された『映画館へは、麻布十番から都電に乗って。』という本で、ご自身の映画館勤務時代の日比谷映画街について書いているんですが、当時の映画街の様子を生き生きと描写していて素敵なんです。例えば、「有楽座」の劇場担当だった時分に「毎日夕方になると、カッコいいマキシを着たファッショナブルな女性たちが続々とやってきて驚いた」とあって、それは『華麗なるギャツビー』を上映していた時だったと。丸の内のオフィス街から、仕事帰りに自分をアゲて映画館にやってくる女性を魅力的に描かれている。私にとっても、中学生のころの日比谷映画街はそんなふうにまぶしい場所でした。

  • 日比谷映画街入り口にあった「日比谷映画」全景。職人が手書きで描いていた巨大な絵看板と、入り口の行列が大型映画館ならではの風景。(写真協力:公益財団法人川喜多記念映画文化財団)
  • 「日比谷映画」のあった場所には、現在は日比谷シャンテの入り口がある。同じように丸い外観。

註釈

  • 註11 「ロードショー興行」
    スバル座の方式にならって、当初「ロードショー」という言葉は、限定の先行公開を指していた。そのほとんどは銀座の大型劇場で行われ、話題の作品をいち早く観たい人々が銀座に押し寄せた。その後、大型の映画館が各地にでき始めると「銀座=渋谷=新宿」3館で当時公開する「拡大ロードショー」、さらに地域を広げた「超拡大ロードショー」へと変化、1990年代には「全国一斉ロードショー」が一般化した。

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