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『アニメーション紀行「マルコ・ポーロの冒険」』復活プロジェクト!
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マルコ・ポーロとはどんな人物だったのか?
本作の主人公、マルコ・ポーロは、歴史の教科書にものる実在の人物。『マルコ・ポーロの冒険』は、このマルコの人生を追った伝記でもあるのだ。
ベネチア共和国(現在のイタリア)の商人ニコロの息子として、1254年ごろに生まれたマルコは、1271年に父と叔父マテオに同伴してアジアに向け、商旅行へ出発。ベネチアを発った一行は、ペルシャ(現在のイラン)からパミール高原、ゴビ砂漠を通り、元(現在のモンゴル・中国を支配)の都の上都(元の夏季の首都。大都(北京)から北へ275キロに位置)へ到着。マルコは21歳のときに元朝初代皇帝(モンゴル帝国第5代皇帝)のフビライ(クビライ)に拝謁している。
ヨーロッパだけでなく、アジア各地の情勢に知見があった一行は、フビライに気に入られて役人として登用される。外交使節に任じられたマルコは、帝国領内や東南アジア(現在のスリランカやインドネシア、ベトナム)各地を訪れ、見聞をフビライに語って楽しませたという。
しかし、マルコたちはフビライが亡くなれば、政敵に狙われてヨーロッパに帰還できなくなることを恐れた。そこで、マルコはフビライに帰国を願い出て、1291年にイル・ハン国(イルハン朝、モンゴル帝国を構成する地方政権のひとつ)の妃となる皇女コカチンを迎えに来た使節団に随行することを最後の任務として命じられることに。1292年、泉州(現在の中国福建省の港湾都市)を出港した一行は、セイロン、アラビア海を通り、コンスタンティノープルを経て1295年にベネチアに帰還。全行程1万5000キロ 、24年間に渡る大旅行を終えた。
マルコは帰国後、ベネチアとジェノア(現在のジェノヴァ)間の戦争に志願したが、捕虜となり数カ月投獄される。獄中で囚人仲間に語った旅の経験談が、後の旅行記『東方見聞録』である。
1323年、マルコは病気によりベネチアで死去した。
『東方見聞録』は、ヨーロッパへアジアをくわしく紹介した書物で、そのなかで語られた黄金の国「ジパング」が、日本を伝えた最初の記述だ。マルコ自身は日本に渡航しなかったものの、地理や民族、宗教を説明しており、元軍と高麗軍が2度にわたり日本へ侵攻した「元寇」(1274年、1281年)にもふれている。
また、黄金の国伝説は、遣隋使時代の留学生が中国にもたらした砂金に関する情報(当時、奥州(現在の東北地方)から大量に産出されていた)や、独自に中国と交易を行っていたと奥州の豪族・安東氏が伝えた、平泉の中尊寺金色堂の情報を、マルコが伝え聞いたものだと推測されている。
マルコの冒険は、ヨーロッパ文化に大きな影響をもたらす画期的なものであった。新情報をもとに世界地図が作成され、後にアメリカ大陸発見に貢献したクリストファー・コロンブスも『東方見聞録』に強く影響を受けている。
アジアの文化情報をヨーロッパにもたらしたマルコは、歴史の上で、西方と東方の架け橋となったのだ。
TEXT:幕田けいた
